つ思い当たることがあった。
 それは、自分が晩酌の肴にしようと思って、しまって置いた鱧《はも》の皮に気がついたのである。この鱧の皮は、既に焼いたものであった。それは、お肴として、場合として、如何かと思ったのだが、これを取り出して大根と共に細かく刻み、鱠《なます》のように調理して、お銚子に添え、近侍の公卿まで運びきたった。公卿はこれを上皇に進め参らすと、龍顔麗わしくご盞を重ねられた上、この鱠をご賞美遊ばされた。そして、この鱠は何という魚にて作りしか、さても珍味に思うという意味のお言葉を賜わった。けれど、
(これは、実は内膳司の晩酌の肴を奉りました)
 こう、ほんとうのことが申し上げられるものではない。公卿は背に汗を流した。
『これは、下賎の者の口に仕る鱧の皮にて、今宵俄のご宴に、何の用意もなかりし故、内膳司のしまい置きしを調理して奉りました』
 公卿は、恐懼に堪えぬままに、こうお答え申し上げたところ、上皇には、いささかのお咎めもなく、さるにても美饌なる哉。これからも、度々、供御に用意せよ。けれど、下々の嗜める鱧の皮とあっては聞こえいと悪《わろ》し、この日よりこの肴を『待宵の鱠』と命名せよ
前へ 次へ
全15ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング