金で立て替え支弁をなし、その翌年度の収納でこれを償い、なおその余りで年度の末までを賄うありさまであった。謂わば遣り繰り算段であったのである。
又このようにご窮乏のうちにある宮中の会計や、庶務に従う御賄頭、勘使兼御買物方、御普請掛、御勘定役などの諸役人は、どれも祿高百俵内外の旗本とか御家人とかいう将軍お目見え以下の軽い武士であった。そして、宮中のご方々には会計のことに手をつけさせなかったから、この諸役人共はまことに畏れ多いことながら僅かな皇室費を横領しようとしていた。そこで、宮中の欠乏は、一層甚だしかった。
不埒《ふらち》な役人共は、奸商と結んで賄賂をとり、不当な高価で品物を買い入れ、または鞘取りをする。されば、宮中はますます窮迫して借越《かりこし》が重なり、三年も四年も後のものを使用せねばならぬほどになった。
ところが、この奸吏共の悪事が安永三年の八月に至って抉剔《けってき》され、一斉検挙となったのである。禁裡御賄頭田村肥後、御勘使津田能登、服部左門、御買物役西池主鈴などという武士は捕われて打ち首となった。そのほか押込、追放、京構、江戸構などの刑に処せられたものが、百八十余人の多
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