あまり重大にしていまここでお約束は、でき兼ねる。よって、短冊は拙者から奉献することに致しましょう』と、答えた。
水七分酒三分
岩倉具視は、常に宮中のご不自由を心痛して、それから後も禁裡御取締内藤豊後守正継や、所司代酒井若狭守忠義などに、さまざまと宮中の実状を説いて聞かせて、苦い慣わしを改めることに努めたが。そのたびに豊後守も若狭守も、
『それは、ほんとうでござろうかの』
と言って、具視の言葉を信用せぬのであった。
そこで、具視は千種有文と相談して、宮中のご不自由のほどを、幕府からきている権力者に見せるがために、富小路敬直に伝えて主上の御膳を運び去る時、お肴一盤とお酒一瓶を拝領させて置いて、これを千種有文から酒井所司代の用人三浦七兵衛の手を経て若狭守忠義に送った。
そのお肴一盤のうちに、塩漬けの鯛が一尾あった。
これは、京都の人々が正月に用いる『にらみ鯛』と同じものであった。
『にらみ鯛』というのは、膳の上へ鯛を一尾置いて、これを睨みながら、正月の酒を飲むからであった。山城国は、山国で海へは遠かった。瀬戸内海を控え浪速からも、日本海の方の若狭からも、丹後からも、鮮
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