た。主上には、
『これは美味である』
 と、仰せられてご賞味遊ばされた。ご食事が済み、近侍の稚児が御膳を運び去ろうとした時、御膳の上に、残り鮭の一片があったのをご覧ぜられて、
『これを棄ててはならぬ。朕は晩酌の佳肴とするつもりである』
 と、お命じ遊ばされたそうである。嘉永二年十月のことである。
 また、御製《ぎょせい》を遊ばされた折り、料紙を召された事がある。ところが、宮中にはその時もう一枚の短冊すらなくなっていた。侍従岩倉具視は、このありさまを見て大いに悲しみ、その夜ひそかに時の所司代本多美濃守忠民の邸へ行って言うに、『こん日、主上が短冊を召されたが、その蓄えがない。それほど、宮中は窮乏に陥っているのだ。一天万乘の君が一片の短冊にも、こと欠き給うことは、一体誰の過失であろうか。勿論、幕府が朝廷に奉ずるところ薄きが故である。そこ許が果たして正義名分を知るならば、幕府にこのことを告げて皇室のご調度を増加するがよかろう』
 と、詰め寄った。ところが、本多は、
『お言葉の通りの道理と存じ、まことに、痛み入る次第である。しかしながら、公儀が拙者の報告を採用して、ご調度を増し奉るや否やは、こと
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