られたのであるそうである。
 左のようなお話も伝わっている。ほんとうに、勿体ないことである。
 光格天皇は、御位をお譲りになり、上皇となられた。天保の初年の秋であった。上皇は、折りから望の月東山の松の上に昇り、夜の凉風肌を慰むる興に惹《ひ》かせられ、御殿の御階近くへ出御、光遍き秋空に、禁庭の荻叢に歌う虫の音に、ご興尽くるところを知らず、一膳を用意するよう仰せられた。そして、上皇は御階の近くへ仮の御座を設けさせられた。
 近侍の公卿はこれを畏みて、御板許に供御を命ずると、その当夜の内膳司は、思いがけなきご用命に接して、何かお肴をも奉らんと厨房を捜したが、何もない。
『夕べの御食《みけ》奉りし後は、何参らせん品もございません』
 と、近侍の公卿に復命した。
『けれど、せっかくの思召《おぼしめ》さるる観月のお莚に、何も奉らないのは、さぞかしご本意なく思召さるるでありましょう』
 と、公卿はさびしく、つぶやいた。そこで内膳司も、いまさらながら禁裡の欠乏を嘆いたが、と言って何ともなる訳には参らず、思案に余った末、まことに恐懼に堪えない[#「堪えない」は底本では「勘えない」]次第ではあるけれど、一つ思い当たることがあった。
 それは、自分が晩酌の肴にしようと思って、しまって置いた鱧《はも》の皮に気がついたのである。この鱧の皮は、既に焼いたものであった。それは、お肴として、場合として、如何かと思ったのだが、これを取り出して大根と共に細かく刻み、鱠《なます》のように調理して、お銚子に添え、近侍の公卿まで運びきたった。公卿はこれを上皇に進め参らすと、龍顔麗わしくご盞を重ねられた上、この鱠をご賞美遊ばされた。そして、この鱠は何という魚にて作りしか、さても珍味に思うという意味のお言葉を賜わった。けれど、
(これは、実は内膳司の晩酌の肴を奉りました)
 こう、ほんとうのことが申し上げられるものではない。公卿は背に汗を流した。
『これは、下賎の者の口に仕る鱧の皮にて、今宵俄のご宴に、何の用意もなかりし故、内膳司のしまい置きしを調理して奉りました』
 公卿は、恐懼に堪えぬままに、こうお答え申し上げたところ、上皇には、いささかのお咎めもなく、さるにても美饌なる哉。これからも、度々、供御に用意せよ。けれど、下々の嗜める鱧の皮とあっては聞こえいと悪《わろ》し、この日よりこの肴を『待宵の鱠』と命名せよ
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