寛永三年御清の節の食穢《しょくあい》には狸、狼、羚羊《かもしか》を食った人に、五日間の穢《けが》れありとしてあるが今晩は鰊糟《にしんかす》にも劣る小片のみで、狸をたらふく食ったわけではないのだから、祟りのほども少ないであろうと自ら慰めて、不平もいわないで帰宅したのであった。
 爾来、狸汁のことについては長い間忘れていたのだが、団栗《どんぐり》のことから狸の身の上に思い及び無用の興を催していたところ、つい最近友人が訪ねてきて、ちかごろに狸の試食会をやろうではないかというのである。
 これに対して私は、狸汁はご免だと答えて先年虎の門の料亭で一杯食わされた話をすると、友人が言うにいやそんないかさま狸ではない。正真正銘の狸である。実は、自分の郷里岩代の国の寒村では、近年狸の人工飼養が大分流行している。県農会などでも大いに奨励し、農家も儲かることであるから誰も彼も狸を飼っているのだが、儲け仕事は長く続かず、この一両年の時局柄で毛皮の売れ行きがとんと跡絶《とだ》えた。また飼料の方も値上がりで、この先狸を活かしておけない。それぞれ狸を処分しなければならないのだが、毛皮の方はあきらめるとして、肉の方だ
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