のであらうが、あまり臭いので敬遠せざるを得なかつた。
 その次は、肉片を一旦湯であほりこれにマヨネーズと酢をかけ、それに蕃菜《つるな》の葉と、馬鈴薯とをあしらへ、掻きまはしたものが出たけれど、これにも臭みがついてゐる上に、肉が甚だ硬かつた。最後に膳の上にのつたのが、味噌汁である。八丁味噌に充分調味料を加へ、狸肉を賽の目に切つて泳がせたのであつた。これは、結構であつた。先年、虎の門で啜つたたぬき汁とは異ふ。軽く山兎に似た土の匂ひが肉にかほり、それが一種の風味となつて私の食欲を刺戟した。
 以上、いろ/\の焼烹のうち私の賞味したのは、肉だんごである。これが、支那料理にある※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]々《かんかん》の炙《しゃ》に当るかも知れない。次は、味噌汁つまりたぬき汁である。私は、十数年前上州花咲峠の奥の、武尊《ほたか》山の峭壁《しょうへき》に住んでゐた野猿を猟師から買ひ受け、その唇を味噌煮にこしらへて食べたことがあるが、軽い土臭と酸味を持つてゐて、口では言ひ現せぬ魔味を感じたのであつた。今回の八丁味噌のたぬき汁も、曾ての猿唇に味品が相通じてゐて、まことに快興を催したのだ。
 しかし、これを要するに今回狸肉がおいしくたべられたと言ふものは、一流の料理人の手にかゝり、調味のあんばいよろしきを得たからであらうけれど、これを素人料理にしたら結局銀狐の肉と同じやうに、手がつけられぬ珍|饌《せん》となつて、味聖に幻滅を感ぜしめるのではあるまいか。
 つひにその夜、狸は大衆的の代用食には適せぬと折紙がつけられた。たうとう、狸公はバスに乗りそこなつた。だがしかし、野狸の方の食糧難だけは、うまく解決してやりたい。



底本:「日本の名随筆59 菜」作品社
   1987(昭和62)年9月25日第1刷発行
   1997(平成9)年5月20日第8刷発行
底本の親本:「たぬき汁」墨水書房
   1941(昭和16)年9月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
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