の井戸端の大|盥《たらい》の中に活かしてあるすっぽんを指して、詳しく説明するのである。
二匹とも、四百匁位。何れも雄であったから盥の中で喧嘩して互いに噛み合い、甲羅の裾の柔らかい縁に噛みついた傷がいくつもできている。
――この二匹のすっぽんは、きのう料理した大すっぽんと共に僕の居村豊前国柳ヶ浦を流れる駅館川の上流安心院村の漁師が捕ったのを買ったのである。すっぽんを捕るには二つの方法がある。その一つは、水底の崖穴に棲むのに手をさし込み、手捕りにするのであるが、これは余程上手にならなければ捕まらない。他の一つは鯰や鰻を釣るのと同じような置き鈎をかけるのである。餌は大きな蚯蚓《みみず》か、泥鰌《どじょう》であって、すっぽんがいると見当をつけた淵へ延縄《はえなわ》式に一本の縄へ幾本もの鈎を結び投げ込む。前夜投げこんで置いて、翌朝縄を引きあげると、間のいい時には二、三匹も鈎に食いついている。このすっぽんは、その置き鈎で捕ったものだ。
すっぽんは暖国を好むものと見えて、四国、中国、九州地方に多い。関東から東北地方へかけては、昔からまことに数が少ないのである。九州には至るところに産する。けれど、僕の村の駅館川に産するのが一番上等とされている。背の甲が蒼《あお》黒く、そして肌の底から鈍い黄金色の艶が浮かび出し、腹の甲は一帯に黄色を呈しているのを絶品としている。これは駅館川ばかりでなく元田肇翁の生まれた国東半島の方にも産するが数はあまり多くない。
北九州から、中国方面に産するすっぽんは、少し背の模様が違う。背の甲に灰色の丸い斑点が散在している。これは、金色のすっぽんに比べると味が劣る。朝鮮から満州方面のものは、背に白い筋があって、誰が見てもこれは内地のものと違うのが分かる。背中の模様から考えると、北九州と中国産のすっぽんは朝鮮、満州のものと縁が近いように思えるが、太古日本と大陸とは地続きであったことを、これが物語るのではあるまいか。
朝鮮と満州産は内地のものにくらべると、素敵に味が劣って価値も半分もしない。いま市中のすっぽん料理店で使う品はこの大陸産のものか、養殖ものであるから、おいしいすっぽん料理が容易に口に入らないのは当然である。僕は、若い時からすっぽんが好きで、土地の漁師が捕ってきたものは時季を選ばず買っているが、数多くとれた時は、庭の池へ放して活かして置いた。
ところが、すっぽんは逃げるのが上手で、雨の降る夜など庭から這い上がり川の方へ出てしまうので、大分損を見たことがある。また、卵を孵化させて小さいのを飼ってみたが、これも大部分逃げられてしまった経験を持っている。すっぽんは、まことに育ちが遅い動物である。卵から生まれた時は五、六匁位で、百匁位に育つには三、四年、二百匁位になるには五、六年もかかろう。だから一貫目前後の大物は、十数年から二十年以上も経ているに違いない。
五
春四月ごろ、冬眠から眼覚めたすっぽんは、間もなく交尾期に入り、七、八月の炎暑に産卵する。川に続いた岡の砂地へ這い上がってきて、自分で砂を掘り穴をこしらえて、そこへ卵を産むと穴に砂をかけて川へ帰って行く。卵は日光に照りつけられ、その熱の作用によって自然に孵化するが、生まれた一銭銅貨位のすっぽんは一両日穴の中に蠢《うごめ》いていて、やがて親のいる川の中へ入ってしまう。すっぽんは泥底の川にいるものよりも、砂底の川に棲んでいるものが質が上等である。泥底にいるのは、一種の臭みを持っていて珍重できない。砂底や、岩の間に巣を営んでいるのは爪を見れば分かる。これは爪の先が磨滅して鈍くなっている。ところが、泥底に棲んでいたものは、爪の先が鋭く尖っている。養殖のすっぽんも同じことだ。すっぽんを買うときには、よく爪の先を究《きわ》めねばならないのである。
このほど、宮城のまわりの堀渫いをした時に数匹のすっぽんが網に掛かってきたのを見ると悉く爪の先が鋭くとがっていたというが、これはお堀の底が、泥であるのを物語っているのである。そして、すっぽんは卵を産んでから後は、十月の末頃まで川の中で餌をとっていて、晩秋の冷気がくると川の底の砂にからだを埋め、首だけ出して冬眠に入る。
重松代議士は、盥のふちに双手をつきながら、こんな話を長々として、最後に、
『娘共の料理では、大したこともあるまい。明日は、からだが閑《ひま》だから一番僕が手をかけて、このすっぽんを割烹して進ぜよう。お腹をすかせて置いて、やってきませんか』
と、呵々と笑う。随分、腕に自信がある風であった。[#地付き](一三・一〇・八)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
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