のであるという。一貫目ばかりの大きなのを一匹、四、五百匁のものを三匹、都合四匹が籠の中へ入って元気よく東京へ着いた。そのうち、一番大きい一貫目のものは、令妹二宮美代子夫人の邸で裂いたのだそうである。包丁をとったのは、美代子夫人であった。
 父君重松氏の家では、代々すっぽん料理が好きであった。邸内に泉水を掘り、すっぽんを蓄えている程である。であるから、蝶子夫人は娘の時代から父君に指図されて、すっぽんの割烹に経験を積んできた。妹の美代子夫人が、これを学ばぬはずはないのである。さりながら、夫人の腕で一貫目の大すっぽんを裂き得たとは、ほんとうに敬服の外はない。
 すっぽんを割烹する法は、いろいろあろうけれど東京風に、すっぽんに絹の端を咬《くわ》えさせておいて、首の伸びたところをその付け根から截《た》ち落とし、続いて甲羅を剥いでゆくのは、当たっていないのである。まず甲羅の裾の柔らかいところを掴んで俎上に運び、腹の甲を上向けにするとすっぽんは四肢を藻掻《もが》いて自然のままに起き上がろうとする。その動作を注視していると、首を長く伸べて吻の先を俎につけ、これを力に跳ね上がろうとするから、機を逸せず、その長い首を左の手で固く握る。まずこうすれば、すっぽんの鋭い歯に噛まれる恐れはないという。そこで左手に吊るしたまま塩ですっぽんのからだを丁寧に洗う。それから、俎の上に尻尾を下にえんこさせ、縦に上から強く押さえてさらに首を引くくらいの気持ちで首を引き出し、上甲の首の付け根に包丁を差し込んで深く切り下げる。こうすると、首と首を動かす筋肉とが縁を断ってしまうから、首は自由を失う。自由を失った首は、もう何処《どこ》へも噛みつくことができなくなるのだ。

     三

 こうなれば、どこを掴んでもよろしい。首を下に逆さにすると、切り口から血が流れ出る。そして、傍らの釜に沸《たぎ》らせておいた熱湯を充分にかけると、すっぽんのからだについた泥臭がきれいに洗い去られてしまうのである。この湯洗いを忘れると、いかに巧みに調理したところで泥の臭みがとれず、ついに味は半減するのである。
 そして、包丁を甲羅のまわりの柔らかい縁に丸く回すと、甲羅がぽっくりと取れる。内臓が、そっくりそのまま腹の甲にのって露《あらわ》れる。そこで第一に胆嚢と膀胱とを除き去らねばならない。もしこれを傷つけると、到底食い物にならないからだ。それから内臓や肉を腹の甲から切り離すのであるが、腸も捨てるには及ばない。すっぽんは生捕って後三、四週間も餌を与えないでおけば、腸の中は洗ったように清浄となっている。甲羅の固いところと胆嚢、膀胱のほかにすっぽんには全く捨て去るところがないのだ。
 首も尾も四肢も、肉も臓も適宜の大きさに刻んで鍋に入れる。もし、裂いたすっぽんが一貫目位のものであったらこれに水四升ほどを注ぎ込んでよろしい。それから、炭火にかけてとろとろと四時間位煮る。こうして四升の水が半分以下に煮詰まった時、火から下ろすのであるが、もうその時は、すっぽんの味漿《みしょう》は悉く汁に出て、肉も何も綿のように柔らかくなっているのである。
 つまり、これがすっぽんのスープだ。けれど、これに味付けをしてしまったのでは、汁が濃粘に過ぎて舌への刺激が強く、味覚が痺《しび》れてほんとうの風趣を判別し得なくなる。だから、二人位で食べるとすれば、別の小鍋に大鍋の方から一合ほど汲み出して移し、これに真水一合を加えてさらに火に掛けるのである。加役は牛蒡《ごぼう》を薄くそいだのがよろしかろう。再び充分に沸《たぎ》らせたならば、塩と醤油で薄く味をつけ、碗に注いで根深《ねぶか》を細かく刻んで添える。口で吹くほど熱いのが、すっぽんの羮《あつもの》の至味であろう。
 料亭の調理には鰹節、昆布、味の素、鶏肉スープなど加味するのがあるけれど、そのような補助味を用いると、すっぽん本来の風味を消して烹調の法に適《かな》っていない。
 煮こごりが素敵である。晩秋から冬へかけて、すっぽんの羮を一夜置くと翌朝は煮こごりとなっている。これは、酒の肴として絶品の称がある。夏の間でも、冷蔵器に入れて一夜置けば同じことだ。また、佃煮にこしらえるのもよろしい。肉と臓腑と頭、手、足、甲羅の縁などを細かく刻み込み、これに薑《はじかみ》を加えて生醤油を注ぎ、炭火で気ながに煮詰めるのであるが、こんな贅沢な佃煮は他にはないかも知れぬ。
 私が杯を傾ける間、蝶子夫人はこんな風に細々とすっぽんの割烹について語った。そして最後に、父が豊前国から持ってきたすっぽんは、まだ二宮の家に二匹飼ってある。都合がよかったならば、出かけて行って一度見ておいては如何《いかが》であるか、と言うのである。

     四

 翌朝、私は二宮邸へ出かけて行った。ちょうど、重松代議士がいて裏
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