しくなかった。泥の臭みが鼻をついて、
『こんなのなら、物欲しそうな顔などするのではなかった』
と、悔やんだのである。そんな古い記憶があったから、その後長い間、すっぽんの食味に興を惹《ひ》かなかったのであるが、先年京都千本通りの大市ですっぽんの羮《あつもの》を食べたとき、はじめて、
『なるほど』
と思った。
それに味をしめて、それからは東京であっちこっちとすっぽん専門の割烹店《かっぽうてん》を尋ねて歩いたけれど、料理の方が拙いのか、材料が劣っているのか、京都で得た味覚とはまことに比較にならない。幻滅を感ずるとは、ほんとうにこのことをいうのであろう。幸い、私には西陣に親戚があったので、関西に旅するたびにそこを訪れ、大市から取っては義兄と二人で、その贅餐《ぜいさん》に喉を鳴らした。
二
そんな訳で東京にいては、すっぽんのことを全くあきらめていた。ところが、四年ばかり前であったか、偶然御手洗邸を訪れると、主人と相対する晩酌の卓上に、すっぽんの羮の鍋が運ばれた。碗の縁を啜って、口腔に含むとその媚、魔味に似て酒杯に華艶な陶酔を添えるのであった。上方の料理には不自然な調味が加えてあるのであろうが、それは求め得なかったすっぽんが持つ禀賦《ひんぷ》の野趣が、この羮に匂うのを味わったのである。
主人に説を聞くと、このすっぽんは豊前国|駅館《やっかん》川の産で、煮るとき塩と醤油の他、何の調味料も加えなかったのであるという。むべなるかな、この旨味こそ真に烹調《ほうちょう》の理によって得たのである。と、絶讃をおくることができよう。
それから後、御手洗邸へ豊前国からすっぽんがきた話を聞かなかったのであるが、関西へ旅した時とか、すっぽんの話が出るたびに豊前国のすっぽんを思い出さぬことはなかったのである。
ところへ、このたびの便りである。私は、喉に唾液を嚥《か》みながら、御手洗邸の玄関へ駆け込んだのである。このたびの羮も、往年の味に少しの変わりもない。美漿《びしょう》融然として舌端に蕩《と》け、胃に降ってゆく感覚は、これを何に例えよう。これに誘われ酒の芳醇、吟々として舌根にうったえる。私は、銀色の銚釐《ちろり》を静かに小杯に傾けながら、夫人が語るすっぽんの割烹譚を興深く聞いた。
このすっぽんは、二、三日前、父君重松代議士が郷里豊前国柳ヶ浦から遙々《はるばる》携えてきた
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