。
翌日、私は隣村に友人を訪ねた。そして、昨宵の一部始終を物語った。ところが友人は一向《いっこう》にこれを信用しない。
着想として、奇抜だな。昨夜は長考に耽ったことだろう。貴公――。
いや、ほんとうだよ。作りごとじゃない。僕がこの眼で見たんだ。
だが、前代未聞だ。
この会話を、さきほどから友人の祖父が、鉈豆煙管《なたまめぎせる》をくわえながらきいていたが、
それは、そらごとでもあるまい。わしは、若いときわしの祖父からきいた話に、殿田用水あたりには、昔から性悪の狸奴がすんでいて、とてつもない物に化けるそうじゃ。
よんべのしゃもじも、たしかにその狸奴の、道楽だんべえ。
と、解説したのである。そこで友人も、私の話が作りごとでないことに頷いた。
ところで、友人の祖父が、若いとき祖父からきいた話であるとしてみれば、殿田用水の狸はよほど劫をへた古狸に違いない。
漢書幽明録に、こんなことが記してある。漢の董仲舒《とうちゅうじょ》が、ある日窓の幕を下ろし、なにか思索に耽っていると、突然来客があった。見ると立派な風采《ふうさい》で、半影まことに非凡である。董仲舒を相手に論議を求めてきたらしく、二人で五経を論じたところ、客はその奥義を尽くしている。
これに対して、董はちょっと首をひねったのだが、我輩は今の時代の名家とは、遍《あまね》く交遊して知らぬ人とてない。しかれども、この客のような博学の人士と、つき合ったことがない。
ことによると、この客めは変化妖怪の類かもしれぬと思って、董はためしに、
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巣居却風穴處知雨
郷非狐狸即是老衆
[#ここで字下げ終わり]
と、客を一喝したところ、客は俄に顔色を変え、形が崩れると見る間に、忽ち老狸と化して窓外へ走り去ったという。
底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日第1刷発行
※<>で示された編集部注は除きました。
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
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