うむどん
佐藤垢石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)饂飩《うどん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)七分|搗《づ》き

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)うどん[#「うどん」に傍点]
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 物が高くなって、くらしに骨が折れてきたのは私の家ばかりではあるまい。どこでも、同じであると思う。殊に、私の家庭のように田舎から出てきたものには、それが一倍身にこたえるのである。
 家内も、子供も野菜が好きだ。山国にいたころの家族は、お正月とか物日とかでなければ塩ものの魚さえも味わうことができないのであった。だから大量の野菜がなければ一日も過ごされない習慣を持っている。野菜がなによりも好物であるのは致し方がないであろう。
 ところが、このごろでは、葱が十銭に六、七本、大根が一本二十五銭、小松菜が束十三銭、八ツ頭が一箇十銭とあっては、やりきれない。家内が、お勝手で悲鳴をあげているのである。故郷にいたときは、屋敷の前の畑から、芋でも菜っ葉でも食べたいだけ取ってきたのに、このごろでは野菜を食うことは、おかねそのものを食うようなものだ、と嘆くのだ。こんな訳で、野菜を食う量も自然に少なくなってくる。哀れであるが、いたし方ない。
 それからまた、都会へ住むようになると生魚や肉類の味を覚えるのも無理はないのである。その上に米、味噌、醤油、砂糖など手に入れることさえ、一年前とはようすが変わってきている。銭を持って行ったところで、おいそれとは売ってくれないのだ。炭のことでは、家族手分けして知人や親戚を頼み歩いた。
 このほど、家内一同で、なにごとも時世のためだ、できるだけ物の節約をしようね、などと話していると、そこへ町会の世話人が大きなビラを配ってきた。それを読んで行くと、米を節約するために、代用食として饂飩《うどん》と麺包《ぱん》とが大いに奨励してある。これをみて、二人の子供ははしゃぎ立って喜んだ。
『お母さん、僕うむどん大好き』
 大きな子供は、こういって相好を崩した。この子供は母乳が少なかったので幼いときから饂飩《うどん》を食べならされていた。だから、いまでも饂飩が大好物なのである。田舎にいる時分は、ただうどん[#「うどん」に傍点]といっていたが、東京へきてから何処《どこ》で聞き覚えてきたのか、うむどん[#「うむどん」に傍点]と言うようになっている。
『わたし、パン』
 と、妹の方がつづいていった。この子は、どういうわけか小さいときから麺包《ぱん》が好きだ。
 そのことがあってから兄の方は、夕方学校から帰ってくると、うどんかけを二杯ずつ毎日食った。そして、まだ物足らぬような顔している。この子は、もう中等学生であるから、学校から腹をペコペコにして帰ってきて、うどんかけ二杯くらいでは、充分というわけには行かぬのは自分たちにも覚えがある。
 妹の方は、朝も麺包、お弁当も麺包にしたいというのだ。朝の麺包のときは紅茶に角砂糖をいれてください。お弁当には、三盆砂糖だけでいいわ、などという。
 そこで驚いたのは家内である。饂飩も麺包も一週間に一度、せめて二度位であったなら、なんとか家計の繰りまわしもやれますが毎日では堪りません。麺包が一斤二十五銭、うどんかけが二杯で二十銭。それに砂糖、紅茶、バターなどと贅沢をいえば一日に六、七十銭はかかるでしょう。
 その上に、御飯も食べるのですよ。つまり、麺包とうどんはおまけみたいに、なってしまいます。これでは、とてもお勝手の方がやりきれないのですが、何とかあれをやめさせる工夫はございませんか。という始末で、家内には大事件となった。
 なるほど、そうだのう。
 そこで、私はうどんと麺包をやめさせる工夫を考えてみた。しかし、子供に家計の実体を知らすのも何だからと思って、お前たちよ、うどんも麺包も小麦粉からこしらえるのは知っているだろう。だが、いま日本にあり余るほどの小麦粉はないのだ。私が百姓している時分は、小麦は一石八、九円から十一、二円であったのが、今では二十三、四円もしている。
 これは、加奈陀《かなだ》と豪州から入ってくる小麦粉に政府が高い関税をかけて防ぎとめたために、日本で耕した小麦の相場が、今のように高くなったのだけれど、それと当時に産額も増してきた。それでも相場が下がらないというのは、こんどは日本の小麦粉を外国へ輸出するようになったからで、ここでお前たちが大口あいてうどんや麺包を食べると、やはり日本の食料が減って虻蜂《あぶはち》とらずになるから、いままで通り七分|搗《づ》きばかり食べたらどうだい、といましめてみた。
 家計のことから説かないで、小麦の大切なことを話したのは、あるいは顧みて他をいう類であったかも知れない。ところが、男の子の方が私にいうに、
『でも、区役所からきたビラには、うどんと麺包を食えといって、奨励しているじゃありませんか』
 と、妹がこれに和して、
『そうねえ。お父さんは随分認識不足だわ』
 と、いって相手にしない。
 お上《かみ》の達しには、個々の家計など眼中にないということが、子供たちには分からないのだ。どこへ、尻を持って行きようもないと思う。[#地付き](一五・一・二一)



底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
   1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
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