はじめた。
『雪景色に茶ばかりでもあるまい。一杯いくことにしよう』
有村は、こういって八蔵爺さんを呼んできた。
『おっさん、道の悪いのにご苦労だが酒を少々買ってきて貰いたい』
懐中から二朱金をとり出して、八蔵爺さんに渡して、
『一升あれば充分だ。それに、ちょっと摘《つま》むものを二、三品頼む。残った金はおっさんにみんなやる。』
『はい、どうも――』
爺さんは、低く頭を下げた。当時の物価では、これだけの買物についてくる二朱金の剰銭は莫大である。
五
爺さんは、酒と摘み物を買ってきた。すると有村は、
『おっさん度々《たびたび》ですまんが――実は拙者はけさ風呂屋へ褌を忘れてきた。お恥ずかしい話だが、ちょっと二筋ばかり買ってきてくれまいか』
こう言って、また一朱金をひと粒出した。有村は、爺さんが酒買いに出て行ってから、自分の褌の汚いのに気がついたからである。我が死にざまを眼に描いた。
五人は、他の同志のくるのを千秋の思いで待った。やがて第一番に海後磋磯之介と山口辰之介が絵馬堂を捜してきた。次に、関鉄之介、野村彝之介、木村権之衛門、森五六郎、佐野竹之介、黒沢忠三郎、斎藤監物、蓮田市五郎、広岡子之次郎、鯉淵要人、稲田重蔵、岡部三十郎、森山繁之助などが、ぽつりぽつりと集まってきた。
『やあ』
『やあ』
と一度は晴れやかに挨拶を交わすが、死を決した人々は、さすがに惨として一言も発しない。斬って斬って斬りまくろうとする扮装に、互いに輝く眼をやった。
斎藤監物は、紋付きの割羽織に袴をつけ、足駄をはき傘を持っていた。佐野竹之介は股引脚絆に、黒木綿のぶっさき羽織をつけ、白い紐をだらりと下げてその下に襷《たすき》を掛け、二尺九寸の大刀を差して、頭に菅笠を冠っている。森五六郎は、茶縞の乗馬袴、羽織の下に襷をかけているのが見える。
広岡子之次郎の、素肌に袷《あわせ》を着け乗馬袴に紺足袋をはき、麻裏草履を紐で結んでいる姿は粋で、そして颯爽としていた。海後磋磯之介と山口辰之介は、木綿の半合羽。そのほか、野袴の者もあれば立っ付きをつけた者あり、下駄唐傘や、菅笠に股引と草鞋《わらじ》など、まことに異形の姿の者ばかりであった。
『百鬼の図かな』
と、稲田重蔵が低く独語して、微笑んだ。
斎藤監物と関鉄之介の二人を除くほかは、大抵絵馬堂の内外で下駄を捨て、草鞋に替えて襷を上っ張りの下にかけた。かねての申し合わせは、白鉢巻を合印にするのであったけれど、今朝それを用意してきたのは森五六郎の外、二、三人しかないようであった。
さきほど、有村が八蔵爺さんに褌二本を註文したのは、一本を胯間に結び、一本は鉢巻に使うつもりであったらしい。
刀は、五、六人の分だけ大関がけさ風呂敷に包んでここへ持ってきている。ほかは、銘々腰にさしていた。大抵伝家の刀であるが、中にはこのたびの議がまとまる前、既に水戸の鍛冶に鍛えさしたものもあった。いずれも二尺四寸から、三尺近い大刀ばかりであった。
森五六郎の携えてきた刀は、二尺八寸の新刀であった。広岡子之次郎の刀は、大の方が二尺六寸五分、小の方が一尺四寸六分、何れも無銘の新刀である。有村は前から同藩の奈良原喜左衛門から関兼元二尺六寸の大業物を借りて差していたが、けさもこれを持ってきた。小刀は無銘で一尺八寸、これも美濃ものらしい。稲田重蔵は、安政六年十月金子孫次郎から貰い受けた備前助真を持っている。同志の腕は、既に血を求めて鳴っていた。
六
『点呼っ!』
と関鉄之介が低い声で布令《ふれ》た。
『もう、大体揃ったようだ』
懐中から、連判帖を取り出し硯箱を引き寄せて、筆に墨を含ませた。
『岡部――森山――佐野』
『おう――おう』
底力のある返答と共に、連判帖の名前の上へ黒い点が落ちていった。
『黒沢――大関――有村』
これを最後として十八名の点呼は終わった。一人の不参者もない。
そこで関は、懐中から一枚の書き付けを取り出した。
『これは、これまで幾度か同志に示したはずであるが、折節《おりふし》列席のない方もあったから、再び申し告げることにする。つまり、部署についてのことだ。不調法ながら拙者は、君命によって一隊の懸引《かけひき》を掌る役目を承っている。また、ここにいる木村、野村の両人も、同志の手に余る敵のある時、飛び出して行って加勢仕る役割、謂わば予備員でご座る。また一挙の後、老中自訴の砌《みぎり》、誰か惣代にならねば口上区々となって不都合を生ずる。これは、金君からかねて斎藤君へお願い申してある。されば、斎藤君はまず戦闘に加わらぬものとご承知願いたい。次に右翼の先鋒が黒沢、有村、山口、増子、杉山の五名。同じく後隊が鯉淵、蓮田、広木の三名。左翼は佐野、大関、森山、海後、稲田、広岡の六名。前列を乱すは森山一人の役目。岡部一人は井伊の行列が、邸から突出するを斥候する役目。さて目的を果たせし後は、互々潜行して大阪の義挙に加わること。また、重傷を蒙りて進退意の如くならざる者は、斎藤監物に率いられ田安殿、内藤殿、脇坂殿いずれへなりと、自訴すること。以上承知ありたい』
厳かに、こう申し渡した[#「こう申し渡した」は底本では「かう申し渡した」]関の面上に、凄気が流れた。同志は寂として、しわぶき一つするものがない。悲壮の気、霏々《ひひ》として降る雪の愛宕山上に漂った。
『時分はよかろう、一同出発!』
関が号令をかけると、一同は申し合わせたように武者震いした。じーんと血が頭へ集まっていくのを感ずる。
菱餅を並べたかに似た金杉、芝浦の街並みは愛宕山上の眼下にあった。品川、大森と思える方の雪の杜《もり》は、はてしない海に続いている。遠く上総の洲崎は煙っている。いま、同志がおりて行く男坂には、もう雪が四、五寸も積もった。
七
木綿の白い褌二本を買い求めて、八蔵爺さんが急いで絵馬堂へ戻ってきた時は、もう十八の同志が出発した後であった。
土間に十八人で分けて飲んだ貧乏徳利と茶のみ茶碗が転げている。下駄や草履も、乱暴に取りちらしてある。
『何者の、寄り合いだんべ』
爺さんは、しばし解けぬ疑いに茫《ぼう》っとして、堂の入口に佇んだ。
大老井伊直弼が、水戸浪士のために桜田門外で討たれたのを八蔵爺さんが聞いたのは、それから二刻とたたぬ時であった。
伊賀袴をはいて竹胴を着けた武士が、一つ橋に近い若年寄遠藤但馬守の辻番所の傍らまで落ちのびた時、ついに深傷に堪え兼ね、大老の首級を前に置いて腹を切った話は、翌日になってから社務所の役僧に聞いたが、爺さんは竹胴をつけた武士の顔を思い出し、
『も一足早かったから[#「早かったから」はママ]、あの褌が間にあったろうに――』
褌のない武士の壮絶な最期が、まざまざと眼に浮かんだ。
有村は、臍の上を横に四寸ほど、右の方へ一寸ほどあげて腹を切ったが、朝からの奮闘の上に重傷を負ったため、腕に力抜けてそれなりに路上に突き伏した。但馬守の辻番所の中で絶命したのは、それから半刻後であった。
懐中に、二月二十七日の日付けで吉原元海老屋から受取書が一通あった。
一、昼夜二分(千とせ、玉越)一、一分(芸妓二ツ)一、台二分一、二朱(肴一枚)一、二百文(御膳)一、二朱(芸妓)一、一貫六百匁(酒四升)〆金二両一貫四百文。
さらに、別の遺詠が入っていた。
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君がため 身をつくしつつ 健男の 名をあけとふる 時をこそまつ
[#ここで字下げ終わり]
他の十七人は悉く水戸藩であったが、有村一人は薩摩藩の武士として、この義挙に加わっていたのである。年、二十一。人生の蕾であった。[#地付き](一三・一一・五)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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