しいね。」
 ずんずん行っておしまいになりました。吉祥寺《きっしょうじ》の方からお帰りになるのでしょう。馬場はもとより、宅の並びにも門灯の附いているのは一、二軒ですから、月もない頃で、下駄の音がまだ聞えるのに、もう姿は見えません。遠くで梟が鳴いています。いずれ本屋でしょうが、どんな御本がお気に入ったのかと思いました。御手には杖《つえ》ばかりのようでした。
 その後団子坂へ伺った時、聞いて見ました。「この間はどんな本をお求めになりましたの。二晩もつづけてお出《いで》になるのは、よほどお気に入ったからでしょうと思いました。」
「いや、あれは神田《かんだ》の方で買った古本に落丁《らくちょう》があってね。ちょうどその本があそこにあったから、買って来てそこだけ取って補充したのさ。二部は不用だし、向うは商売だから、また相手もあろうと思って、持って行ってやった帰りだった。多分その話はせずに、また誰かに売るのだろう。こっちは話したのだから疚《やま》しくはないがね。」
「そんなお客さんは滅多にありますまい。何の御本でしたの。」
 伺いましたが、「なに」としか仰しゃいませんでした、きっと私などには縁の遠い
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