とて京都に滞在していられたように聞きました。そこはすぐに不縁になって、里に帰っていられる内に、縁があって森の家へ来られることになったので、その時のお支度をそっくり持って来られたのです。兄が東京勤めになって、家族が一緒に住み始めた頃、母は、「いろいろ見せて戴いたよ」といわれました。床の間には定紋の縫《ぬい》のある袋に入れた琴や、金砂子《きんすなご》の蒔絵《まきえ》の厨子《ずし》なども置いてありました。何しろいろいろの衣類を持っていられるのですから、私の娘も一度拝借したことがありました。富豪へお嫁入なすった時に、先方の母親が「お著物を拝見しましょう」といわれ、見終ってから、「官員様のお父様としては、よくお揃《そろ》えになりましたね」といわれたので恥しい思《おもい》をした、と話されたそうです。物には段階があるもので、われわれなどの夢にも知らぬあたりのことです。
 その頃は誰も遠慮がちなので、静かな家庭のようでした。それがいつまでも続けばよかったのですけれども、そうは行かなかったのです。或時|紺飛白《こんがすり》の筒袖《つつそで》の著物の縫いかけが、お嫂様のお部屋にあったのを見かけました。於菟《おと》さんの不断著《ふだんぎ》を縫って見ようとなすったのです。媒妁《ばいしゃく》をして下すった夫人は社交家で、「森さんは奥さんのお扱いが下手《へた》だ」といわれましたが、世馴れた人の目からは、そう見えたのかも知れません。
「森さんはお母さんばかりか、お祖母《ばあ》さんもおありだから、お嫁さんはお骨が折れましょう」という噂を聞いて、いっこくな祖母は腹を立てて、「何も私は急に出て来たのではない。誰も始めから知っているはずだ。長命なので、人様のお邪魔になってはならぬと、小さい体をなお小さくしているのに」と泣かれます。行合せた私が慰めて、「まあまあ誰がそんなことをいったのか知りませんが、気にお懸けなさいますな。あなたは森の大事なお祖母様ですものを。それはお兄様が一番よく知っていらっしゃるから御心配ありませんよ。それよりお祖母様、今日は手製ですけれど、お好きな栗のきんとんのおみやげです。召上って下さい」といいますと、「それではお昼に戴きましょう」と御機嫌をお直しでした。家族が多ければ、それだけ事の多いのも仕方がないのでしょう。
 どこの家庭でも、泣いたり笑ったりする内に、知らず知らず年月を過します。もともと変った家庭に育った人同士が集って暮すのですから、お互に控目《ひかえめ》にするより外には仕方がないのでしょうが、思うままに振舞おうとする人が一人でもある時は、誰も彼も不平を起して、治まるはずがなくなります。
 思えば私ももう八十を過ぎて、いろいろな家庭をも見、いろいろの人にも附合って来ました。普請が出来て引越しましたら、また昔のように森家の旧宅の跡もたずねましょう。そうしたらまたいろいろと思出すことがありましょう。
[#地から1字上げ](昭和三十年十月)



底本:「鴎外の思い出」岩波文庫、岩波書店
   1999(平成11)年11月16日第1刷発行
底本の親本:「鴎外の思ひ出」八木書店
   1956(昭和31)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「舎」と「舍」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2007年11月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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