はつの祈ってくれたせいですか、私は今に丈夫で暮しています。
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   普請中

 戦災後十年を過ぎて、焼け失《う》せた曙町の旧宅跡に、ようよう普請をする運びになりました。何にせよ五十年間住んだ土地ですから、周囲の様子はどんなに変っても、なつかしさには変りがありません。とはいうものの、地境《じざかい》になっていた大きな杉並木もなくなったばかりか、そこらの人が根まで掘って薪《まき》にしたというのです。まして軒端《のきば》に颯々《さっさつ》の声を立てた老松を思い浮べますと涙ぐまれます。ただ一面の焼野原になったのですから、今ある五、六尺以上の木は、どれも皆近年住みついた人たちが植えたのでしょう。昔の土井の邸に名高くて、遠方からの目印になった二本杉の馬場のあたりには幼稚園が出来て、毎日子供たちが遊んでいます。ここらは以前は暗いほど樹木が茂って、夜は梟《ふくろう》の声が物凄く、草原には雉子《きじ》が羽ばたいていたところだったのです。「庭木の移植には時期がありますから」と、庭師が来て、石灯籠を崩したり、庭のそこここを掘返したりいたします。それで、「一番最初に庭木がお引越ですね」といいました。掘上げた根を縄で捲《ま》いていますところへ、それを積んでゆくトラックの音がして来ます。椿《つばき》、どうだん、躑躅《つつじ》などの丈の低い木はそれほどにも思いませんが、白梅の古木や楓《かえで》などは、根が痛まず、障《さわ》りのないようにと祈られます。楓の紅葉は庭一面を火の燃えるように照して、それを誰もが賞美したのですが、今年は普請場の傍で寂しく紅葉して、寂しく散ることでしょう。幾百年を経た松の古木があって、昔の東海道のようだと誇った土地も、哀れなことになったので、今遠方から少しずつ木を運ぶのです。
 引越といっても、私は老体で何も出来ませんから、長男や嫁がいろいろ心配して、住みよくしてくれた狭い部屋で、手廻りの箱や包をぽつぽつ整理しています。他人には何の趣もない紙屑《かみくず》や小切れでも、皆それぞれに思い出があるものですから、それらを手に取上げて見詰めたりします。小切れのたとうの中に、黒地に一面に大小の紅葉を染めたのがありますのは、長女の五つの時に初めて袖の長い衣類を作ってやった、その時のです。小金井の家は戊辰《ぼしん》の際に朝敵となった長岡藩の士族で、主人は貧しい家に兄弟が多く、貸費生《たいひせい》で仕上げたのです。それに父は病身で早く亡くなったので、留学中の家族の生活費は郷里の商人から借り、帰朝後|僅《わず》かな月給の中から、それをだんだんに償還したのでした。やっと大学教授の職に就いた時、寄って来るのは補助を頼む人ばかり、母を養い、弟妹の学資を出した跡は、質素な生活をするだけがやっとのことでした。ですから七五三のお祝など、思いも寄りませんかった。森の母が、「でも女の子だから」と、いろいろ手伝ってくれたのですが、著物《きもの》は出来ても、帯がなかなかです。母は出入の呉服屋を団子坂へ呼んで、私に見せて下さいましたが、私はただその値段に驚くばかりでした。その日はきっと日曜日だったでしょう。兄が出て来られて、「作った人の骨折《ほねおり》を思えば安いものだ。綺麗だねえ」といわれました。けれども私は、そんなのは勿体《もったい》ないと、型ばかりのにしたのでした。その娘がもはや還暦なのです。とんだ昔話になりました。
 今一つの友禅の切れは、森の母が久しぶりに迎える嫁の料にと、心の中でその面影を忍びながら求めた切れの見本です。家内を迎えるために休暇を取って帰る兄に見せようとせられたのでしょう。その時私がたずねましたら、「お前はまだ見たことがないが、それは美しい人だよ。あの人が来てくれたのに、こんな著物を著せて、そこらに坐らせて置いたら、兄さんはもとより、私がどんなに楽しみだろうと思ってね」と、夢見るような目附《めつき》をなさったのを、いまでも忘れずにいます。夢想と現実との違うのが世の習いですが、希望の大きかっただけに、母のその後の落胆の度も強かったのでしょう。
 観潮楼の二階で、親戚だけの型ばかりの式を挙げて、翌日夫妻は連れ立って任地の小倉《こくら》へ立たれました。母はその前後をただ多忙に過されましたが、噂《うわさ》を聞いて待っていた祖母は、恐らくその美しい孫嫁の一声をも聞かれなかったでしょう。残念がっていられました。
 私が小倉へ向けて手紙を出しましたら、その返事をお嫂様《ねえさま》は下さいましたが、文面には兄の息の通っているような気がしました。私は日常に追われて、手紙も度々は出しませんかった。あちらから戴いたのは、ただ一度だけでした。
 美しい方《かた》でしたから、まだお若い時に或富豪に望まれて、お片附《かたづき》になったのです。そのお支度をする
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