て、手紙の本などを見ては写しています。もともと学校の出来もよくて、知識慾が盛んで、もっと勉強したがっているのでした。
それで二年ばかりして、大学で看護婦の募集をすることがありました時に、主人が試験を受けさせましたら合格しましたので、本人も喜んでそちらに勤め、暇があれば何かと勉強しています。休日には尋ねて来て、先生方の講義の様子とか、身分のある人が入院した時に附添った時のこととか、そんな話をします。だんだんに世馴れて、怜悧《れいり》になるようです。
その様子を見聞きして、はつは羨《うらやま》しくなったのです。それで暇を取りましたが、看護婦にはなれないものですから、雑仕婦《ぞうしふ》になって、あちこち転々している由を人伝《ひとづ》てに聞いているだけで何年か立ちました。そうしたら或夏の夜に、葡萄《ぶどう》を沢山持って、尋ねて来てくれました。
「家でなったのですが、割合においしいので」といいます。
「では今田舎にいるの」と聞きますと、「いいえ、本郷《ほんごう》です」というのです。
はつが落附いて話すのを聴《き》きましたら、雑仕婦をしてあちこちへ出掛ける内に、看護婦まがいのことをするようになり、人に重宝がられて、忙《せわ》しく暮している内に貯金も出来ました。ところが今少しというところで、附添った患者の病気が感染して、一時は重症にも陥りました。ようやく快方に向いましたものの衰弱が甚しく、貯金も尽きはててしまい、どうにも困り切った時に、或親切な人が金を出して下すったので、それから百日ほど静養して、健康に復しました。
その親切な人というのは九州の生れで、相当の暮しをしていたのですが、あまりに正直過ぎて事業にも失敗し、その上に目を患って、端《はた》から見ては分らないのに、はっきり物が見えないのです。そんなですから人の不幸にも同情する気持が強くて、惜し気もなく金を出して下すったのでした。その人は本郷の済生学舎の近くに的場《まとば》を遣っていられました。
全くの命拾いをしたはつが、どうお礼をしたものかと、人に相談しましたら、「あの人は身寄《みより》もなくて寂しく暮していられるのだから、あなたが一緒になって、世話をして上げたらどうか」とのことでした。それで勧められるままに、はつは結婚したのでした。
その主人と一緒に的場をやっているのですが、的場には天井がないので、空地《あきち》に葡萄が這《は》わせてあります。持って来てくれたのはその葡萄なのでした。
「的場へは済生学舎の書生さんたちが来ます。私がこんな恰幅《かっぷく》をしているものですから、雲岳女史などいって親《したし》んでくれます」などといって、はつは嬉《うれ》しそうにしていました。雲岳女史は村井弦斎《むらいげんさい》が書いた新聞小説の中に出て来る大兵《だいひょう》な女傑です。
客のいない日に、主人が慰みに大弓を引きますと、面白いように当ります。目は見えなくても長年の勘で当るのです。不断は前屈《まえかが》みになっていますのに、弓を取って肘《ひじ》を張った姿はしゃんとして、全く見違えるようです。
はつはそんな話をして、「長々お邪魔をしました」といって帰りかけます。「田舎では」と私が聞きましたら、「それをお話するのでした」と、また腰を据えて、実家の父の病気見舞に行った話をしました。看護婦の姿で、駅から車に乗って、遠廻りでも町を通って、染物屋の前を過ぎましたら、隣の家で驚いていたそうで、父も大変喜んでくれたというのです。
「また伺います。」そういって立上って、また思出したように、「ちか子さんはお元気でしょうか」と聞きます。
ちか子は産婆の方の免状も取って、アメリカへ渡って都合よくしているのでした。その話をしますと、「結構ですね。若いに似合わずしっかりした人でしたから。おついでに宜しくおっしゃって下さいまし」といって、帰って行きました。
それからはつは度々尋ねて来るようになりました。けれども折角新しい生涯に入ったのに、運が悪いらしく、一、二度|引越《ひっこし》もしましたが、その度に粗末な家になって行きます。初音町《はつねちょう》辺の裏にいた時に尋ねて行きましたら、ずいぶんひどい家にいました。それでもはつが住めば綺麗になるので、よく片附いた部屋で、茶を入れて出してくれました。
その頃でしたか、古い袴《はかま》を持って来たことがありました。「洗張《あらいはり》でもするの」と聞きましたら、「これは主人のために探して来ました」といいます。或神社のお札配りの仕事を見附けましたが、お社《やしろ》の仕事だから袴をはくのがよかろうと思ったのです。「脚はかなり丈夫ですから」とのことでした。しかしこの仕事も続きませんかった。何しろ目が悪いのですから、標札を読むのに時間がかかるので、一月ほどで止《や》めて
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