上げ]寸介由伎
   きみ子様
 お名前はいつも万葉仮名で、判で捺《お》したようでした。
 手紙ではありませんが、小出粲《こいでつばら》氏の筆の跡も残っております。小出氏は常磐会の歌の選者の一人です。もと石見《いわみ》浜田の藩士で、初め荒木寛畝《あらきかんぽ》に画を学ばれましたが、武芸を好まれて、宝蔵院流の鎗術《そうじゅつ》の皆伝を受けられたそうです。井上通泰氏が小出氏とお心安かったのは、嗜好《しこう》が同じだったからかも知れません。井上氏も棒をお遣いになって、その御秘蔵の棒に石上《いそのかみ》という名を附けられたと聞きました。石上は「ふる」の枕詞《まくらことば》です。
 小出氏の墨蹟は、常磐会の題詠を見て下すったので、次の如くです。
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春雨
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春雨は降るとも見えず薄月《うすづき》の
    匂ふ軒端に梅の花ちる
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此歌よろしけれど、或は類歌あるべく、いさゝか陳腐のきらひあり。
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川霞《かわがすみ》
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薄月の空に匂ひて川ぞひの
    柳をぐらく霞たなびく
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魚《うお》つりし人は帰りて柳かげ
    つなげる舟に月のぼりきぬ
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○印の歌さし出し可申《もうすべく》候。
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 なお余白に、
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拝啓このほどは御病人ありて御取込のよし、千万|御察《おさっし》申上候。
森様へも一寸御尋ね申上|度候得共《たくそうらえども》、おのれも風邪等にて御不音《ごぶいん》申訳なく候。
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 すべて朱で書いてあります。宛名《あてな》も宿所も皆朱なのです。
 こんなにして常磐会へ出して下すっても、拙いのですから入選しません。曙町の住いの向いに箕作元八《みつくりげんぱち》氏が住んでいられ、その夫人光子さんも小出氏のお弟子で、この方はよく入選なさるのでした。
 曙町の家は旧土井邸の跡で、杉の大木が二本あって、それが白山《はくさん》の上からも見えていました。昔将軍が狩に出て、野立《のだて》せられた時、食後に箸《はし》を二本立てられたのが成長したのだなどといわれます。夜は梟《ふくろう》の塒《ねぐら》です。小出氏が、どんな処か、といわれた時にその話をしましたら、天狗の寄合《よりあい》に好い場所ですね、といわれました。光子さんにその話をしましたら、また先生の例の癖、と笑われました。小出氏の亡くなられた時の兄の追悼の句があります。
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おもしろいおやぢと春のつれて行く
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   福羽氏の手紙

 近頃あちこち移転するために、手廻りのものを片附けました時、古い手紙の束を見出しました。種々の人のがありますが、その中で一番古いのは福羽美静《ふくばびせい》氏のです。封筒はありませんが、文面に拠って大抵時がわかります。
 福羽氏は津和野藩士ですが、中央に出て出世をなすったので、西周《にしあまね》氏の男爵、福羽氏の子爵が郷人の誇なのでした。福羽氏は侏儒《しゅじゅ》でした。親御《おやご》さんが、その体では見込がないから廃嫡する、といわれた時、どうか少し待って下さい、必ず何か為遂《しと》げますから、と泣いてお頼みになり、江戸へ出て国学を専攷《せんこう》して、世に許されるようになりましたので、明治天皇御即位の時の制度などは、福羽氏の創意に基《もとづ》いたように聞きました。御所では両陛下の御歌を拝見せられ、元老院議官というお役をお勤めでした。その頃私がぽつぽつ三十一文字《みそひともじ》を並べましたので、亀井家で何かお集りのあった時、お父様が福羽氏にお目にかかって、私のことをお頼みになったのです。無論お兄様とも相談の上でした。福羽氏は快く承知なすって、「昼は勤めで忙しいから、泊りがけでお出《いで》なさい」とおっしゃったというので、六番町《ろくばんちょう》のお邸へ、祖母と一緒に折々伺いました。お手紙の数通はその頃のもので、唐紙の巻紙に書いてあります。
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浦千鳥

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右御出詠なさるべく候。過日の詠草御返し申上候。
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十八日
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  森きみ子様[#地から3字上げ]美静

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池水鳥
山松
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右弐題御出詠|可被成《なさるべく》候。此程の歌点検致し候。かしく。
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十二月四日
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  森きみ子さま御返事[#地から3字上げ]美静
 福羽氏はいつも馬車で出入なさいます。その頃夫人はいらっしゃいませんでした。お写真を見せていただきま
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