ら、大小長短幾つもの垂氷《つらら》の下っているのが、射《さ》し初めた日に輝いて、それはそれは綺麗です。「あれが欲しい」といいましたが、「あんな物をどうするの。もう起きなさい」と、誰もかまってくれません。やがて御飯になりました。渋々《しぶしぶ》起きてお膳《ぜん》に向っても、目は軒端《のきば》を離れません。その時、「おい、これを遣ろう」と、後に声がします。振返ると兄が、大きなコップに垂氷の幾本かを入れたのを、笑いながら出されます。「まあ、どこからお取りになりましたの。ありがとう」と、すっかり上機嫌になりました。
兄から貰った垂氷を、私はお膳の傍に置いて、それを見ながらゆるゆると食事をしましたが、終った頃には、もうすっかり痩《や》せ細って、コップの底には藁屑《わらくず》まじりの濁った水が溜《たま》っているだけでした。その後、何か欲しいというと、「垂氷とどっちだ」と、よく笑いぐさにされました。
雪国の越後などでは、その垂氷を「かなッこおり」といって、いたずらな子供が手拭《てぬぐい》で捲《ま》いてお湯屋へ持って行き、裸の人に附けて驚かすとか聞きました。
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通学
兄が洋行されてからは、千住の家はひっそりとしました。病家へ出かけられる父の後姿も寂しそうです。向島時代と違って、千住では話の合う人も少いのでしたから。その頃次兄は本郷《ほんごう》で下宿住いでした。それで兄のいられた部屋を使えといわれます。尤《もっと》もそれまでもお留守の時は、そこで本を見て時を過したので、そろそろ退庁の時刻になると、そこらを片附けます。取散らしてあるのはお嫌いでしたから。それで洋行中も、机の上の本を積重ねようとしては、ああお留守だったと、がっかりするのでした。
本棚の片隅には、帙入《ちついり》の唐本の『山谷《さんこく》詩集』などもありました。真中は洋書で、医学の本が重らしく、一方には馬琴《ばきん》の読本《よみほん》の『八犬伝』『巡島記』『弓張月《ゆみはりづき》』『美少年録』など、予約出版のものです。皆和本で、それぞれの書名が小口《こぐち》に綺麗に書かれたのが積重ねてあって、表紙の色はそれぞれ違いましたが、どれも皆無地でした。その頃流行したのですから、随分出たものでしょうが、その後そんな本は古本屋でも見たことがありません。それよりあの本棚にあれほどあった予約本がどうなったの
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