えぬあたりに柿の木がありました。何という種類か知りませんが、葉の幅が広く、紅葉すると黄と朱と紅とが混って美しいのです。実は大きくて甘いのですが、喜ぶのは私と次兄とだけでした。家の横手にある無花果《いちじく》とその柿とが私の楽しみで、木蔭に竿《さお》を立てかけて置いて、学校から帰ると、毎日一つずつ落して食べました。鴉《からす》はよく知っていて、色づく頃にはもう来始めます。もっと熟すまで置きたいのですけれど。
 表の方へ廻りますと、冠木門《かぶきもん》まで御影《みかげ》の敷石です。左の方はいろいろの立木があっても、まだ広々していました。後には、ここらが寂しいからと、貸家を二軒立てました。右の方で目立つのは芭蕉《ばしょう》でした。僅《わず》かの間にすくすくと伸び、巻葉が解けて拡《ひろ》がる時はみずみずしくて、心地《ここち》のよいものです。花が咲いて蓮華《れんげ》のような花弁が落ちますと、拾って盃《さかずき》にして遊びました。
 見事なのは門前の柳でした。夏は木蔭が涼しいのですから、よく人が立止っては休んでいました。飴屋《あめや》などは荷を下して、笛を吹いて子供を寄せて、そこで飴細工をするのでした。狸《たぬき》や狐《きつね》などを、上手《じょうず》にひねって造ります。それに赤や青の色を塗り、棒に附けて並べます。大抵の子供は、丸い桶《おけ》に入れてある水飴を、大きく棒に捲《ま》いてもらうのです。色は濃い茶色をしていて、それがなかなか堅くて溶けませんから、子供には長く楽しまれるのでしょう。或時よその年寄が来て、立話をして帰るのを、母が送って出ましたら、門の際の生垣に挿してあった飴の棒を抜いて、しゃぶりながら行ったので呆《あき》れたといわれましたが、そんなに堅いのです。
 家の中は押入が多くて、よく片附いていました。床《とこ》の間《ま》は一間《いっけん》で、壁は根岸《ねぎし》というのです。掛軸は山水などの目立たぬもので、国から持って来たのですから幾らもありません。前には青磁《せいじ》の香炉が据えてあり、隅には払子《ほっす》が下っていました。
 兄が家にいられる時の机の上には、インキ壺、筆、硯《すずり》、画筆に筆洗などがあり、壁際には古い桐の本箱が重ねてありました。折れ曲った所のれんじ窓から、裏庭を越して田圃が見渡されます。遥《はる》か先に五代目|菊五郎《きくごろう》の別荘があると
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