見違えるようになりました。奥の二間の襖《ふすま》をはずすと十八畳になり、広々となったのでした。書生たちは遊びに出しました。支度が調《ととの》った頃にはお兄様もお帰りです。料理は、好いという遠くの家からの仕出しです。ただ給仕《きゅうじ》をする女手が足りないのに困りました。
その頃土地で美しいといわれる芸者が二人いました。小六、小藤といいました。小六は物静かな女でした。「私は先生に見て頂きたいから」といって、ちょいちょい家へ来て、診察順を待つ間に、母ともお馴染《なじみ》になって話すのでした。父はいつも代診をやって、青楼やそんな家へは決してまいりませんから。それが家で客をするのに女手がないと聞いた時、「私がお手伝《てつだい》にまいりましょう。いつも先生のお世話になっているのですから」と申出ました。
父は笑って、「それは有難う。立派な御馳走ではないが、お酌がよいとお客が喜ぶだろうから」といいました。
小六は早くから、少し年増《としま》の芸者と十二、三の雛妓《おしゃく》と一緒に来て、お茶を出したりお膳を運んだりするのでした。きっとこの人たちは同じ家にいるのでしょう。お客たちは上機嫌で、「いつも小六さんは美しい」とか、「小六さんのお酌は有難い」とかいいます。多くは小六と雛妓とが踊って、年増が弾いたり、歌ったりするのです。大分お酒が廻ったと見えて、妙な声をして歌うお医者もありました。父はお酒はいけないのですから、隣の席の質屋の隠居の頻《しき》りに盆栽の話をして、折々料理に箸《はし》をつけては、にこにこしていられます。私もそっと出て来て、母の後からその座の様子を見ていました。その内にお兄様は腰を立てて、「甚《はなは》だ失礼ですが、今夜は拠《よんどころ》ない会があって、ちょっと顔を出さねばなりませんから、中座《ちゅうざ》をいたします。どうぞ皆さん『雨しょぼ』でも踊らせてゆっくりお過し下さい。」
そういってお立ちになりました。車は早くから戸口に待っていたのです。
「若先生のお許《ゆるし》が出たのだから、さあ、さあ、踊ったり、踊ったり」と、もつれる舌でいう人があります。賑やかに三味線が鳴り初めて、雛妓が立上りました。赤い友禅の袖《そで》の長いのを著《き》ていましたが、誰かの黒っぽい羽織を上に引張って手拭《てぬぐい》で頬被《ほおかぶり》をし、遊び人とでもいうつもりでしょう、拳固《げ
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