順よく並べられますのを、松葉のようだと、いったものでした。膳の傍には、いつも濡《ぬ》れた布巾《ふきん》があります。指を拭《ふ》くためです。尤《もっと》もこれは壮年の頃のことで、晩年はどうでしたか知りません。日常の食事の時などは傍にいたことはありませんかったから。
茄子はお好きだったようで、どんなにしたのでも召上りますが、炭火のおこった上に、後先《あとさき》を切って塩を塗ったのを皮のままで置き、気を附けて裏返します。箸《はし》を刺して見て、柔かに通るようになりますと、水を入れて傍に置いた器に取ります。程よく焼けて焦げた皮をそっくり剥《は》ぎ、狐色《きつねいろ》になった中身の雫《しずく》を切って、花鰹《はながつお》をたっぷりかけるのですが、その鰹節《かつおぶし》や醤油《しょうゆ》は上品《じょうぼん》を選ぶのでした。
大きくて見事な茄子のある時は亀《かめ》の甲焼《こうやき》にします。これは巾著《きんちゃく》などというのでは出来ません。まず縦に二つ割にして、中身に縦横|格子形《こうしがた》に筋をつけ、なるべく底を疵附《きずつ》けぬようにして、そこへ好《よ》い油を少し引き、網を乗せた炭火にかけ、煮立ち始めると、蒂《へた》を左の指で持って、箸《はし》で廻りからそろそろ剥《はが》します。皮を破らぬようにするので、割合に早く煮えるものです。そこへ花鰹、醤油、味醂《みりん》などを順々に静かに注いで仕上げます。そっくり皿に取りますが、それを剥しながら食べるのがお好きでした。若い人たちは、お舟だといって皮をも食べます。
全体に食物は、油濃いものの外は、あまり註文《ちゅうもん》をおっしゃらないので、いつでしたか歯が痛むといって、蕎麦掻《そばがき》ばかりを一カ月も続けられたのには皆|呆《あき》れました。
小倉《こくら》在勤中は、田舎の女中ばかりでさぞ食物に困るだろうという母の心配から、註文のままに品物を送るのでした。それは醤油の樽《たる》――田舎は醤油が悪いそうで――とか、鰹節とか、乾海苔とかですが、品物は皆選びました。冬は好物だというので、鴨肉《かもにく》の瓶詰を家で作るのでした。私の主人が聞いて、もっと何かないかね、というのでしたが、人々の嗜好《しこう》ですから仕方がありません。私はよく牛の舌を送りました。薄く切って食べるのです。皮ごと塩で長く煮込むのですから、寒中などはよく持ち
前へ
次へ
全146ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小金井 喜美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング