た女でした。今まで飲むとも聞きませんかったのに、夜分女中が使に出た時などは、差向いで飲んでいるのを見るといいました。或時その女が勘定を取りに来ました。抜け上った額に大きな傷があります。「どうしたの」と聞きましたら、「棚から箱が落ちまして」と、口の達者な人なのに、いつもほど喋《しゃべ》りません。「まあ、危なかったね」といいました。後に女中が、「あれはきっと撲《なぐ》られたのでしょう。何んでもよく喧嘩《けんか》をするそうですから」というのを聞いた主人は、「あの男が、いつの間にそんなになったのか」と驚いていました。いつもそそけ髪で、子供を背負って働いていた先妻の顔を思い出しました。子供たちも人に遣《や》ったか、奉公にでも出したか、見えなくなりました。大分本人の健康もわるくなったらしく、宅へも引子ばかりよこしました。大乗寺への出入もやめたそうで、いつか田舎《いなか》へ帰ってしまいました。僅《わず》か一、二年の間に変れば変るものと、威勢のいい大声を思い出します。
白山上から坂下の方へ見渡される一町ばかりの処に、古本屋が左右に二、三軒ありました。白山上にあるのはかなり大きく、窪川《くぼかわ》といって、歌集などのよく出ている家でした。私は買物に出た帰りなどに寄って見ます。欲しいと思う本など聞きますと、「ちょっと待って下さい」と、裏のお寺の中に物置でもあるのでしょう、気軽に行って見てくれました。坂を下りた処の店は狭いのですが、年を取った頭の禿《は》げた主人が、にこやかで気安いのでした。そこへもちょいちょい立止りました。あとはずっと奥深く這入って見るような店構《みせがまえ》でしたから、寄った事はありません。そこらは鶏声《けいせい》が窪《くぼ》といいました。近年にそこへ出来た鶏声堂という店は、高島米峰《たかしまべいほう》氏が出していられて、新刊書や教科書類を扱うようでした。何んでも学生たちが立見をして本を汚すと、叱《しか》られるとのことでした。そこは曙町の停留所のすぐ傍、東洋大学の構内へ喰《く》い込んでいました。今の京北《けいほく》中学です。尤《もっと》も電車が通じたのと店が出来たのと、どちらが先だったか覚えません。
米峰氏はそこは店だけで、店から見える位近い曙町に住居を作られました。四方が道になって高い塀《へい》で囲まれたお家です。ラジオで放送される声はよく聞きましたが、御話はし
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