俗にいふ石刷即ち拓本で、もとより古を尚び、文字を大切にする支那のことであるから、この石刷をも、原本の實物のやうに大切にする。かうして拓本を作つて珍重することも支那では隨分古くからやつて居ることで、今日に遺つて居るのではまづ古いところでは唐時代のものであらう。それ以後五代拓、宋拓、元拓、明拓といふやうなわけで、勿論古い程尊ばれる。といふのは、いかに石でも金でも、年月が經てば矢張りいたむ。或は風雨に曝されたり、或は野火や山火事に焦がされたり、或は落雷で碎かれたり、或はまたそんなことが無くとも、餘り屡※[#二の字点、1−2−22]拓本を取つた爲に石が磨滅して仕舞ふといふことは珍らしく無いからである。つまり古いほど完全に近い。隨つて古いほど貴いといふことになる。同じ碑の拓本でも、一枚は人が愛馬を賣つても寶劍を質に入れても手に入れなければならぬと騒ぐのに、他の一枚はたゞで貰つてもほしく無いといふやうな話も出て來る。漢の時代に建てられた西嶽崋山廟の碑は、實物は今は無くなつて了つてゐるのであるが、明時代に取つた拓本が一二枚今日迄遺つて居る。これなどは唯拓本による存在である。この西嶽崋山廟の拓本を二三
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