大貝塚有りし證跡《せうせき》を留むと云ふ。此地海岸を距《さ》る事凡一里。風土記の成りし頃は海水《かいすい》の入《い》り込《こ》み方今日よりは深かりしなるべきも、岡の下迄は達せざりしならん。鹹水《かんすい》貝塚は元來《ぐわんらい》海邊《かいへん》に在るべきものなれど年月の經《た》つに從ひ土地隆起《とちりうき》の爲、海水退きて其位置|比較的《ひかくてき》内地に移る事有り。此理《このり》を知らざる者は海を距《さ》る事遠き所に於て鹹水貝殼の積聚《せきしう》するを見れば頗る奇異《きゐ》の思ひを作すべし。大人云々の説有る盖し此に基因《きいん》するならん。果して然らは所謂「大人踐跡」とは何者を指すか。余は之を以て極めて大なる足跡《そくせき》の如きもの即ち竪穴に類したるものとなす。余は釧路貝塚の近傍に於て實に大人の歩《ある》きたる跡とも形容《けいよう》すべき數列の竪穴を見たり。常陸風土記所載の「大人踐跡」なるもの或は同種類の竪穴の群ならんか。「尿穴跡」と云ふものも亦一の竪穴ならん。北海道現存の竪穴中には長徑十間に達するもの無きに非ず、二十歩三十歩等の數|敢《あへ》て怪《あや》しむに足らざるなり。以上の
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