》の端緒を得ず。疾病の種類《しゆるゐ》にして存在の証跡を今日に留むるは黴毒と虫齒なり是等の事は遺跡より出つる骨《ほね》と齒《は》とに由りて知るを得る事なれど、風俗考には縁故遠き事故|細説《さいせつ》は爲さざるべし。治療の事は知るに由無しと雖とも鋭利なる石器骨器の存在を以て推せば外科的|施術《しゆじゆつ》は多少行はれしならんと考へらる。死亡者は如何《ゐか》に取扱《とりあつか》ひしか、普通《ふつう》の塲合は反つて知り難けれど、死者中の或る者を食ふ風習《ふうしふ》の有りし事は、貝殼《かいがら》、獸骨、等に混じて破碎せる人骨《じんこつ》の遺れるに由りて知るを得るなり。(第四回參照) ○結論
余は本篇の初めに於て身体《しんたい》裝飾の事を云ひ、次で衣服、冠《かむ》り物|覆面《ふくめん》、遮光器、の事を述べ、飮食、より住居、器具《きぐ》に移り、夫より日常|生活《せいくわつ》、鳥獸魚介の採集、製造、美術、分業、貿易、交通、運搬、人事に付いてコロボックル風俗の大概《たいがい》を記し終れり今是等の諸事《しよじ》を通じ考ふるに、此|石器《せきき》時代人民の我々日本人の祖先《そせん》たらざりしは勿論、又アイヌの祖先たらざりし事も明かなり。一事を擧《あ》げて之を日本人及びアイヌの所業《しよげふ》に照らし、一物を採《と》つて之を日本人及びアイヌの製品《せいひん》に比《ひ》し、論斷を下すが如きは、畫報《ぐわはう》の記事《きじ》として不適當なるの感無きに非ざれば、夫等の事は一切省畧して、只|肝要《かんえう》なる一事のみを記すべし。之は他に非ず、石器時代の遺跡より發見《はつけん》する所の人骨は日本人の骨とも異り、又アイヌの骨とも等《ひと》しからずとの一事なり。日本諸地方に石器時代の跡《あと》を遺したる人民にして、體格《たいかく》風俗《ふうぞく》、日本人とも同じからずアイヌとも同じからずとせば、此《この》人民は何者なりしか、其|行衛《ゆくゑ》は如何との二疑問次いで生ずべし。余は本篇の諸所に於て現存《げんぞん》のエスキモが好く此《この》石器時代人民に似たりとの事を記《しる》し置しが、古物、遺跡、口碑を總括して判斷《はんだん》するに、アイヌの所謂《いわゆる》[#ルビの「いわゆる」は底本では「ゆわいる」]コロボックルはエスキモ其他の北地|現住民《げんぢうみん》に縁故近き者にして、元來《ぐわんらい》は日本諸地方に廣がり居りしが、後《のち》にはアイヌ或は日本人の爲に北海道の地に追ひ込まれ、最後《さいご》にアイヌの爲に北海道の地より更《さら》に北方に追ひ遣られたるならんと考へらるアイヌとはコロボックルと曾《かつ》て平和の交際《かうえき》をも[#「交際《かうえき》をも」はママ]爲したりしと云ふに如何《いか》にして、不和《ふわ》を生じて相別かるるに至りしか。固より詳知し難《かた》しと雖とも、口碑に隨へば、或時コロボックルの女子貿易の爲アイヌの小屋の傍に行《ゆ》きしに、アイヌ共此女を捕《とら》へて内に引き入れ、其の手の入れ墨《ずみ》を見んとて、強《し》ゐて抑留せし事有るに原因すとの事なり。(第一回參照)此事は今の十勝《とかち》の地に於て起《お》こりし事なりと云ふ。
終りに臨《のぞ》んで讀者諸君に一言す。余は以上の風俗考を以て自ら滿足《まんぞく》する者に非ず、尚ほ多くの事實を蒐集總括して更に精しき風俗考を著《あらは》さんとは余《よ》の平常の望《のぞ》みなり。日本石器時代の研究は啻《ただ》に日本の地に於《お》ける古事を明かにする力を有するのみならず人類學《じんるゐがく》に益を與ふる事も亦極めて大なり。是等に關する古物《こぶつ》遺跡に付いて見聞《けんぶん》を有せらるる諸君《しよくん》希くは報告の勞《らう》を悋まるる事勿れ。[#地から2字上げ](完)
[#地付き]東京本郷理科大學人類學教室に於て 坪井正五郎記す
底本:「日本考古学選集 2 坪井正五郎集―上巻」築地書館
1971(昭和46)年7月20日発行
初出:「風俗画報 第九十一號〜第百八號」
1895(明治28)年4月〜1896(明治29)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※変体仮名と仮名の合字、仮名の繰り返し記号は、通常の仮名に書き換えました。
※複数行にかかる波括弧には、けい線素片をあてました。
※コロボックルとコロボツクル、エスキモーとエスキモ、器と噐、体と體、往と徃、※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]と挿の混用は底本どおりにしました。
※「石塚空翠」署名の挿絵は、没年の確認に至れなかったの、収録しませんでした。
入力:Nana ohbe
校正:しだひろし
2009年6月18日作成
青空文庫作成
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