日本諸地方に廣がり居りしが、後《のち》にはアイヌ或は日本人の爲に北海道の地に追ひ込まれ、最後《さいご》にアイヌの爲に北海道の地より更《さら》に北方に追ひ遣られたるならんと考へらるアイヌとはコロボックルと曾《かつ》て平和の交際《かうえき》をも[#「交際《かうえき》をも」はママ]爲したりしと云ふに如何《いか》にして、不和《ふわ》を生じて相別かるるに至りしか。固より詳知し難《かた》しと雖とも、口碑に隨へば、或時コロボックルの女子貿易の爲アイヌの小屋の傍に行《ゆ》きしに、アイヌ共此女を捕《とら》へて内に引き入れ、其の手の入れ墨《ずみ》を見んとて、強《し》ゐて抑留せし事有るに原因すとの事なり。(第一回參照)此事は今の十勝《とかち》の地に於て起《お》こりし事なりと云ふ。
終りに臨《のぞ》んで讀者諸君に一言す。余は以上の風俗考を以て自ら滿足《まんぞく》する者に非ず、尚ほ多くの事實を蒐集總括して更に精しき風俗考を著《あらは》さんとは余《よ》の平常の望《のぞ》みなり。日本石器時代の研究は啻《ただ》に日本の地に於《お》ける古事を明かにする力を有するのみならず人類學《じんるゐがく》に益を與ふる事も亦極めて大なり。是等に關する古物《こぶつ》遺跡に付いて見聞《けんぶん》を有せらるる諸君《しよくん》希くは報告の勞《らう》を悋まるる事勿れ。[#地から2字上げ](完)
[#地付き]東京本郷理科大學人類學教室に於て 坪井正五郎記す



底本:「日本考古学選集 2 坪井正五郎集―上巻」築地書館
   1971(昭和46)年7月20日発行
初出:「風俗画報 第九十一號〜第百八號」
   1895(明治28)年4月〜1896(明治29)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※変体仮名と仮名の合字、仮名の繰り返し記号は、通常の仮名に書き換えました。
※複数行にかかる波括弧には、けい線素片をあてました。
※コロボックルとコロボツクル、エスキモーとエスキモ、器と噐、体と體、往と徃、※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]と挿の混用は底本どおりにしました。
※「石塚空翠」署名の挿絵は、没年の確認に至れなかったの、収録しませんでした。
入力:Nana ohbe
校正:しだひろし
2009年6月18日作成
青空文庫作成
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