…残念ながら、……致し方ござりませぬ。
文麻呂 む。あの供奉の連中ね。……まあ、あれは大納言の決めた人達なんで、心配でないこともないんだが、……しかし、父上のあの高邁《こうまい》な「人格」はたとえどんな腹黒い奴等《やつら》でも、たちどころに腹心の家来にしてしまうよ。僕はそう信ずる。……ねえ、衛門、そうだろうが?
瓜生ノ衛門 そうでございますとも。……瓜生ノ衛門、今更《いまさら》ながら御父上から受けました四十年の御厚誼《ごこうぎ》、つくづくと身に沁《し》みまする。……(涙して)しがない瓜《うり》作りの山男を……これまでに……
文麻呂 まあ、いいさ、衛門。過ぎ去った過去のことを思い出してくよくよするのは、遠い先の未来のことを妄想《もうそう》して思い上るのと同じくらい愚劣な空事《そらごと》だからな。一番大切なのは現在だ。現在の中に存在する可能性だ。……ところで、衛門。お前、これから、どうする積り?
瓜生ノ衛門 手前、生れ故郷の瓜生の山里に帰って、また瓜作りでも始めようかと思います。
文麻呂 え?
瓜生ノ衛門 また瓜でも作ろうと思うのでございます。この上、お坊ちゃまに御厄介《ごやっかい》をお掛け申すのは、この衛門、とても忍びのうございますでな。それに、お坊ちゃま。(柄《がら》になく恥しそうに笑う)へ、へ、へ、へ、へ、………
文麻呂 何だい。気持が悪いね。……それに? どうしたって云うんだい?
瓜生ノ衛門 へえ、誠《まこと》に気恥しくて申し上げにくい話なんでございますが、……実は手前……瓜生の里には四十年前に云い交した許婚《いいなずけ》がひとり待って居るんでございます。
文麻呂 許婚?
瓜生ノ衛門 へえ、まあ、そのような……へ、へ、へ、へ、へ、……
文麻呂 おい、おい。衛門。お前もなかなか隅《すみ》には置けないね。六十八にもなって許婚とは……さすがの僕も恐れ入っちゃった。それじゃ、まあ、惚《のろ》け話の花でもひとつ咲かせてもらおうかい。
瓜生ノ衛門 いや、お坊ちゃまの方から先にそう開きなおられると、せっかくの花も蕾《つぼ》んでしまいます。………実を云えば、手前、若気《わかげ》のあやまち、とでも申しましょうか、……今から四十年前の昔でございます。手前がまだ瓜作りをやっておりました時分、ふとした浮気心から云い交した娘がございました。と云いましても、名前も顔もはっきりとはとても浮ぶ
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