》しくなって、まるで眼の前になよたけが現れたかのように、話し出すんだ。「ああ、なよたけ! お前だけなんだ! 真実の魂を持っているのはお前だけなんだ! 僕はお前のお蔭で、初めて生れ変ったような気がする! お前はまるで天の使だ!」僕はそれを見ていて、何だか全身がぞっとして、総毛《そうけ》立《だ》って来たよ。あれは恋などと云う生《なま》やさしいものではない。あれはもはや狂気だ! 恐るべき精神の錯乱《さくらん》なんだ! そうかと思うと今度は、また行方《ゆくえ》も分かぬ虚空の彼方《かなた》に眼をやって……
小野 (突然、右手を見)あ、やって来た!……しーッ。
清原 (右手を見、急に狼狽《ろうばい》し始める)……小野、僕は失敬する! 頼む! あいつにそう云ってくれ! あいつは何をしでかすか分りゃしない! あんな奴と行動を共にするのはまっぴら御断りだ! 僕あもう今日限りこんな大それたことは本当に止めた! 僕はあいつとは、もう手を切った!
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左方へ逃込み、退場。
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小野 おい! 待て! 待て! 清原! 待てと云うのに!……行ってしまやがった。……
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石ノ上ノ文麻呂が右手に現れた。
先ほどの粗末《そまつ》な下人の装束《しょうぞく》で、何やら抑《おさ》え難《がた》い血気が身内にみなぎっている様子《ようす》である。舞台の右方に立ち、遠くから小野《おの》ノ連《むらじ》をきっと凝視《みつ》める。
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文麻呂 おう。小野ノ連ではないか!
小野 俺だ!
文麻呂 何だ。君も来ていてくれたのか?……小野! いよいよ待ちに待った今日のこの日だ!
小野 おめでとう!
文麻呂 用意|万端《ばんたん》は既《すで》にととのった!
小野 成功を祈るよ!
文麻呂 とうとう、ここまで漕《こ》ぎつけたよ! 後は清原がやって来るのを待つだけだ……
小野 それはよかった!……まあ、そんな所に立っていないで、こっちへ来いよ。
文麻呂 うむ。
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文麻呂、中央にやって来る。
小野ノ連、詮索《せんさく》するように文麻呂の眼付、挙動をじろじろ眺めている。文麻呂は得体《えたい》の知れぬ興奮に、その眼は異様に輝き、なるほど、天空に向っ
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