けと大納言のことばかりだ。……そうかと思うとまるで、うわごとみたいにわけの分らないことばかり言っている。小野、君も知ってるだろ? あいつはこの頃、人の顔さえ見れば、あんなあな[#「あんなあな」に傍点]とか、かんなあな[#「かんなあな」に傍点]とか妙なことばかり言って、やたらに人にくってかかるけど、あれは一体何のことだか、君には分るのかい?
小野 いや、あれは俺も実はよく分らんのだ。……うーむ。
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間――
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清原 御修法《みずほう》の雲斎《うんさい》先生もそう云ってらした。気違いになるとわけの分らないことを云って、人には分ってもらったような気になるんだそうだ。……僕は、うるさいから、あいつの云うことは一々「そうだ、そうだ」って合槌《あいづち》を打ってやってはいるけど、実際この頃のあいつの云ってることはさっぱりわけが分らないんだ。第一|条理《すじみち》がたっていないよ。まるで、雲を掴《つか》むように漠然《ばくぜん》としている。そうかと思うと、突然、大声をはり上げて、「貴様はあんなあな[#「あんなあな」に傍点]だ!」って怒鳴《どな》りつけるんだ。あれはどうしたって狂人の衝動って奴さ。あたりに何人ひとがいようがお構いなしなんだ。全く僕あ穴があったら這入《はい》りたくなるような目に何度逢ったか分りゃしない。……理性と云うものを完全に喪失《そうしつ》してしまってるんだ。あの精密な論理の秩序は、跡方もなく破滅してしまった!
小野 (深刻に)……うーむ、……しかし、考えられぬことだな。あれほど明快な頭脳の持主がそんなに簡単に理性を喪《うしな》ってしまうもんだろうかね? 俺はやっぱりあいつが発狂してるとは思いたくないね。あるいは俺達のような凡人《ぼんじん》には考えも及ばないような深奥なる境地に到達してしまったのかもしれんぞ。いや、そうかもしれんのだ。
清原 そんなことはないよ。僕も初めはそうかなとも思ってみた。だけど、色々とあいつの精神状態を冷静に判断してみると、どうしたってあいつは健全な精神を喪失しちまってるんだ。例えば、この間、僕は思いきってあいつに、「君の云うそのあんなあな[#「あんなあな」に傍点]って云うのは一体何のことだい?」って訊《き》いてみたんだ。すると、どうだい? あいつは恐し
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