て、生きていかなければならない、惨忍な季節であつたのだ。
どうして幼い凡太郎が。
生れてから、まだ一度も春にめぐり合つたことのない凡太郎が。『花』や『蝶々』や『星』の美しさを知る道理があるだらう。
私の家の、唯一の訪問者である犬、鴉、牛、などの言葉を真似たことが、当然であつたのだ。
――色々の真似をするところを見ると、唖でもないやうですね。
――うむ。
と私は妻に、うなづいて心の中で、
――今度は、きつと人間の言葉を覚えこむだらう。
ことを期待してゐたのであつた。
静かな日が何日も続いた。
濃霧は、私達の家のめぐりを、とり囲んだ。
この霧のたちこめた日は、私の感情をさま/″\に変へた。
美しい夕方の薄い霧は、遠くの方を、幻のやうに見せて、なにか蜜のやうに、甘いものでもあるかのやうに、私をよろこばした。私は凡太郎を抱いて家の前に出て充分に凡太郎の小さい口に吸ひこました。
すると凡太郎は、しまいには、しきりに嚔《くさめ》をするのであつた。
怖ろしいのは夜更の濃い霧であつた、重い濡れた幕のやうに、小さな家の上に掩ひかぶさるやうな恐怖を感じた。
その重いものは、は
前へ
次へ
全11ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング