はない。それほどにも英語は国際的な文化共有語として存在する。ただそこからの摂取能力の高い国のみが、そこから多くを学び多くを獲得するのである。
 ▼国際文化振興会で世界にむかつて二千部そこそこの日本文化宣伝をばらまいたところで大いしたこともあるまいが、これまで翻訳文化で育成してきた日本が、ここらで勇躍文化を翻訳して世界に向つて攻勢に出る必要があらう。


楽天主義か
 知的動員の倦怠
 
 ▼漢口陥落を転機として、愈々国民的総力戦に移る。その一翼としての知的方面も、如何なる形で協力すべきかは、今後の興味ぶかい問題であらう。見渡すところ知的分野は、現実が深刻であるに拘はらず甚だ楽天的な態度である。好んで楽天的であるのか、そこまで追ひつめられたのか、何れにしても一種の倦怠状態である。
 ▼文芸批評家は、その指導的立場を全く放棄し、ひとり作品だけが、何を描かうが、いかなる創作上の過誤を犯さうが、お構ひなしの横行ぶりで、これまた文学の楽天時代だ。
 ▼報告文学は旺んだが、戦地にゆけば何かしら現実的な文章が書けるだらうといふ淡い目標から出かけるものも少くない。文学的な構成力を働かす力がなくなつた作家が、『事実の強さ』に捕はれるといふ消極的な現れだ。報告文学とはいへ、旅行記と何等変りがない。
 ▼材を満洲国や支那にとるといふ大陸小説は今後も盛んに続出するだらうが、これらの小説はその作者の創作心理の不緊密であることを、益々その作品によつて暴露してゆくだけで、大陸小説、民族小説の目的とは遥かに遠い。だらしのない落莫小説を産出する位が関の山だらう。
 ▼これらの作品は当面の強烈な現象に飛びついたといふ意味では国策的であるが、国内的な現実に眼を掩つてそこから逃げ出さうとする態度では、一種の越境小説と言へる。
 ▼日支事変は国民の精神に新らたなる試煉を与へた。同時にあらゆるものの価値の急激な修正が無意識のうちに行はれてゐる。作日の読者また今日の読者ではない。
 ▼殊に戦争とか事変とかいふ精神的ショックの後に来る国民精神の変化といふものは、ある決定的な姿をとつて現はれることは明らかで、それは国民の国内的な基本的な生活の変化としての必然的な姿である。国民の変貌、新しい読者の登場。然るに作家のみ徒に現象を追ひまはすといふ醜態は救ひ難いものがある。


単純な優等生
 政治と文学のお茶の会

 ▼作家が政治家と、社会や文学の発展のために談合することは、結構なことである。有馬農相が農民文学者と、お茶をすすつて、政治と文学のために一夜を会談するといふことは、たしかにこれまでの政治家には珍らしい砕けたものがある。
 ▼土の文学のために、農林大臣が乗り出した。それでは商工大臣は何をしてゐるのか。日本の『店員文学』樹立のために出馬しないのか。そして逓信大臣は、逓信従業員のための文学に――それぞれ各大臣は作家を動員していゝ筈である。
 ▼しかし政治家と作家、この両者の斯うした関り合ひから、如何なるものが生れるかは疑問である。政治家はその政策の遂行の樋として文学を利用しようとしても、果して順調に水が流れるかどうか怪しい。また文学者は政治家の力を借りて、真の文学をつくらうなどといふ功利性はやめた方がいゝやうだ。
 ▼真に政策的に多忙な政治家なら文学者とものの一時間としやべつてゐる暇などあるまい。また文学者も同じことである。さうしたことに両者がエネルギーを消費してゐるとは驚ろくべきである。政治上のジレッタントと、文学上のジレッタントとの会談、多分にさうした性質を帯びてゐる。
 ▼文学者の最近の著しい傾向として、作家が逸早く国策に呼応するといふことである。しかし近衛さんの肝煎りでつくらうとする新党でさへ、その政治上の一元化の内容吟味で手間どる世の中である。ましてや複雑な人間心理を扱ふ作家が、政治や政策といへば、真先にハイッと手を挙げる優等生のやうな態度はお可笑しい位単純である。
 ▼政治家と作家との懇談や、作家の国策への転化、従軍作家の労役奉仕など、いづれも一寸見には体裁がいゝが、しかしこれは政治の秩序と、文学の秩序との単なる外観上の一致であつて、作家はこのところ、この世間態のつくろひ方に醜態にすぎるものがある。


杉山平助氏に
 死ぬ覚悟の押売

 ▼婦人公論十二月号で杉山平助氏が、『漢口攻略従軍記』を『戦線より吾子に送る手紙』の形式で書いてゐる、この戦地通信は相当枚数の原稿紙を、雑誌社に手渡してゐるから、文章で飯を喰つてゐる人間が、量的に原稿を売る目的はまづ達成してゐるわけである。
 ▼さてその文章の内容にふれるが、杉山氏はそこでは、日本人の古来からの感傷性を美点だと主張し、それを高く買ふ論を一席弁じながら、巧みに己れの感傷的な文章を合理化してゐるのは心得たものだ、彼ぐらゐ自分の書いた文章の後先に、自己弁護をするジャアナリストはないだらう、また彼程自己を主張し、維持しようとすることにかけて本能的な人間も少なからう。
 ▼彼の書いたものは、そのときどきの社会情勢で猫の眼のやうにかはる、その文章は一見個性的にみえるが実はさうではない、個性などはもつてゐないのである、西洋の哲学者曰く『即ちひとが「白己」よりも「維持」の方を強調すれば、この維持は絶えず脅やかされてゐる――』と、杉山氏はその自己の方がないから「維持」の方を専門にやる、勢ひジャアナリズムに執念に喰ひ下らざるを得まい、したがつて絶えず何物かに脅やかされ、恐怖観念が彼に『死ぬ』『死ぬ』とセンチメンタルな文章を書かせてゐるのだ、しかも彼は自分は死ぬ広告文を書いて生きてゐて他人にだけ『死ぬ覚悟』を押しつけるのはどうかと思ふ。
 ▼『吾子に送る手紙』も彼の四歳と三歳の子供に、成人したらそれを読んで父親平助の覚悟の程を知つてくれと書き残すのはいゝとして、しかし何も文芸協会との従軍のイキサツまでも書き残す必要はあるまい、他人のことでも子供のことと言へば眼のない子煩悩な読者を当てこんだキョロキョロした書きぶりは嫌らしい、泣くな平助、しかも子供は他人のでも自分のでも、余り文章のダシに使ふなかれ。


作家移民団
 本多顕彰氏に望む

 ▼本多顕彰氏は日本評論十二月号で『知識階級再建』を論じ『謂ふところの知識階級の中には――こゝに自発的に再出発し、知能の欠如の証明にすぎぬ消極性を清算する者が必ず続出するだらう』といつてゐる。
 ▼この論でいへば、革新十二月号の山田清三郎氏の『現地生活を志願するの書』などは政府の大陸政策への文化的義勇兵たらんとして、当局者に向つて移住の機会を与へてくれと懇請してゐるのだから、その熱意といひ、態度といひ、知識階級再建、知識人再出発の典型のやうなものだらう。
 ▼山田清三郎氏は、自分はこれまで左翼的文章と口舌とで生きてきたが、いまこゝに転向更生して新しい実践に移るのだと、その更生の目標を大陸建設にをいたわけだ。それはいゝとして、その『現地生活を志願するの書』なるものは、だらだらと書き流した一種の懺悔文であり、自己告白たつぷりなもので、所謂転向者気質にぴつたりとはまつたものだ。
 ▼世には一言の声明書も、『志願するの書』も書かずに、黙々として大陸に移住して行つた良民もある。山田氏にして真に大陸に住みたいのであつたら、長たらしい志願文を書くまでもなく、実践的に彼地に赴くべしである。でなければ遂に口舌の徒に終るだらう。山田氏あたりが先導で作家移民団を引率して出かけてはどうか。
 ▼たゞこゝに不思議な現象は、これらの政府の大陸政策に、関心をもつものや、積極的な参加者が、所謂知識人側では、山田氏を始め思想的転向者が多いといふ事実である。一般知識人は、その無関心の故に消極的であるといつて本多顕彰氏に責められていゝかどうか。見掛けだけの積極性も知能の欠如の証明といふことにならぬかどうか。本多氏よ、『思想転向者の積極性の本質』も序でに論じてもらひたい。


政治への媚態
 島木健作氏へ一言

 ▼最近、農林大臣と農民作家との懇談を始めとして、これに類した作家と政治家との、文化工作的触れ合ひの機会が非常に多い、両者の協力がまだ試験済みでないといふ意味でも、世の批評家、評論家は、批評的協力といふ見地から、この問題をもつと盛んに採り上げていゝはずである。
 ▼ところが『国策に沿つてゐること』に対して語ることが罰でも当るかのやうに沈黙をまもつてゐる、我国の政界でも、まだ党派性が認められてゐて、批判の自由が保留されてゐるのに、最近の作家の畑では、政界の馴れ合以上に、お手々をつないだ超党派的な仲の善さである、国策が全体主義的な方向にむかひつゝある――といつただけで、作家は現実が全く全体主義化したかのやうにそれに対してポーズを示す。
 ▼島木健作氏などは最も逸早く、その全体主義的な意思表示をしたが、彼は農民文学者だけでは農民文学ができないから、農村問題に関心をもつ、すべての人々の協力の必要性を説き『そして関心の持ち所は共通だから、この協力は可能なのだ――』といつてゐる、どこから割り出して、農村問題に関心をもつてゐるすべてのものが共通だなどといふことができるのか、強ひてその共通のものを軍人、政治家、商人、作家等から、島木式に求めるとすれば、これらの個々の人々の、それぞれの中から、或る『均等に』含まれてゐるものに、共通性といふ名前をくつつけて、それと結びつく以外に方法はないのである。
 ▼農村問題の関心の持ち所などが、農民文学を生むのではない、農村の現実が農民文学を生むのである、本質的に言へば、農村問題に最も関心をもつてゐるものは農民以外にはないのだ、殊に共通性で結びつけられた、所謂農村問題の『取り巻き連』では農村の本質の解明は不可能である、わけても文学の場合にはその特質があり、作家がそれを見失ふときは、政治家との接触の限りで、文学者の媚態以外の何ものでもないであらう。


神話の擁護
 高沖陽造氏へ一言

 ▼高沖陽造氏は新潮新年号で『神話の時代』を論じてゐる。二十世紀の神話は、たしかに現代的テーマではある。しかし高沖氏がこの問題をどんなに解答したところで、問題の出発そのものに一つの神秘化があるといふことを正しく認識してかからなければ無駄である。
 ▼高沖氏のやうに『神話』を論ずるにあたつて可能なものだけを引つぱり出してきて、可能なことをしやべるが、現実的なことを少しも証明しないといふ結論に陥る位なものだ。
 ▼『神話の時代がきたときに、世界観の時代が終つた』と高沖氏はいふが、氏のこゝで理解してゐる世界観なるものの解釈は頗る怪しいものである。氏は新しい神話の登場と擁護をもつて、従来の世界観の歴史的継続を、こゝのところで遮断し、否定しようとしてゐる。
 ▼何故高沖氏は、旧来の世界観にとつて代[#「代」は底本では「変」と誤記]るものが神話であつて、世界観でないなどと言はないで、神話と称する『新しい世界観』だと言ふことができないのか――、高沖氏の世界観否定の理由は『普遍的世界概念の成立しないところに世界を総体的に理解するところの「世界」観の成立しよう筈がない――』といふ。
 ▼『成立しないところ』とか『成立しようはずがない』などといふ決定的なものの言ひ方は、高沖氏が神話を理由づけるところのコジつけ以外の何物でもない。一方が一方を否定するといふ主観的状態だけで、一方が成立しないとか、成立しなくなつたとか、考へるのは独断といふものである。
 ▼『神話と科学との対立も、全民族が『法則』を承認しさへするならば、神話のうちに科学が包摂することができる――』などといふに至つては、この理論家もまた『法則』の助け太刀で、うつらうつらと夢をみようといふわけでお伽話以上である。文学雑誌に掲載されたからいゝやうなものの、高沖氏よ、この神話の問題を科学者にどんな扱ひをされるか、一度科学雑誌にでも掲載して見給へ。


謙虚となれ
 従軍作家達に望む

 ▼最近の従軍作家の言説をみると、すこし許りヒガミすぎてゐるやうだ、これらのヒガミの多くは、戦地に行つて
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