ゐ自分の書いた文章の後先に、自己弁護をするジャアナリストはないだらう、また彼程自己を主張し、維持しようとすることにかけて本能的な人間も少なからう。
▼彼の書いたものは、そのときどきの社会情勢で猫の眼のやうにかはる、その文章は一見個性的にみえるが実はさうではない、個性などはもつてゐないのである、西洋の哲学者曰く『即ちひとが「白己」よりも「維持」の方を強調すれば、この維持は絶えず脅やかされてゐる――』と、杉山氏はその自己の方がないから「維持」の方を専門にやる、勢ひジャアナリズムに執念に喰ひ下らざるを得まい、したがつて絶えず何物かに脅やかされ、恐怖観念が彼に『死ぬ』『死ぬ』とセンチメンタルな文章を書かせてゐるのだ、しかも彼は自分は死ぬ広告文を書いて生きてゐて他人にだけ『死ぬ覚悟』を押しつけるのはどうかと思ふ。
▼『吾子に送る手紙』も彼の四歳と三歳の子供に、成人したらそれを読んで父親平助の覚悟の程を知つてくれと書き残すのはいゝとして、しかし何も文芸協会との従軍のイキサツまでも書き残す必要はあるまい、他人のことでも子供のことと言へば眼のない子煩悩な読者を当てこんだキョロキョロした書きぶりは嫌
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