も、上村松園氏の作品は、「批評なし――」で結構存在するのである、他からとやかく言はれなくても、作品の値打の保証されてゐる今日、いまこゝで何をか言はんや――なのである、批評家の心の用意とは、そこの点を言つたものである。批評を必要としない作品に対して、それを敢て行はうとするときは、心の用意が必要ではあるまいか、松園氏の作品に対しては、然し展観ごとに諸々で批評もされてゐるし、いまではその批評も画一的なもので、常識的なものである。一般の批評家の松園論が、常識的なお座成りなものに堕してゐるといふこともまた然し理由がないことではない。
これらの批評家達は、松園氏の作品をなまじつか批評をしようとするからそこに常識的な答へより出て来ないのである。もしその批評家が、単に「批評」といつた作品の値打を評する程度のところに止めておかないで、「批評に塩を利かした方法」といふものを採つたなら、少しは松園氏の作品の本質に触れることができようといふものである。風景とかその他の題材的な作家の作品であれば、一応一般的な批評方法もあてはめることができる。しかし、人物画家殊に上村松園氏のやうな美人画家に対しては、風景並の一
前へ
次へ
全419ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング