ふ美しさである。主としてこの華麗さは、彼が光りに対する理解の深さから来てゐる。光りが単に物象からの反射としてみる場合は、安易にハイライトを描ききつて、物質に対する光りの効果を外光派的に生かすことができよう。だが、モヂリアニの絵具の扱ひ方は、もつと決定的な、的確な意図の下になされてゐる。
 つまり、光りの物質への肉化を行つてゐる。『硝子かと思はれるやうな』肉体の美しさは、彼の一筆毎のタッチに光りの消化と吸収を行つてゐることである。光線は彼にとつては物質に対する後からの従属物ではない。現実的なイデー、光り及び生命の肉化のために彼は僅かなマッスの中に、驚くべき光りの諧調の仕事を為し遂げてゐる。だが、人々は彼の苦心を看過してゐる。ただ、全体的な感[#「感」に「ママ」の注記]能さにのみ撃たれて彼の神経のリズミカルな複雑さを見逃してゐる。透明色の無限の重ね出をしてゐるゴオギャンに比して、その意味では彼は確かにゴッホ的なところがある。
 発光の法則や、色彩の原素的な表現をモヂリアニ程生かし切つてゐる画家は少ない。ゴッホはその点で色彩の世界では原素的といふよりも、中間色の世界の開拓をしてゐる。
 ただ
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