。画壇での、良心的分子として堅山南風をまづ挙げる必要がある。彼の人柄は誠実とされてゐる、時に誠実と良心とが度がすぎて作品が右顧左眄的なことがある、彼の耳を患つてゐて対談してゐる人も、彼が聞えたのか、聞えなかつたのかさつぱりその誠実の在り場所がわからない、南風の耳の遠いのは時には有効に悪画商を追つ払ふさうだ
小杉放庵小論
○…もう我々は放庵のやうな人間を見ることができないだらうといふことは、珍しくこの画家は、人格的に日本人的完成ともいふべきものがあるからだ、画は東洋的で人柄が日本的だといへるのであらう。
現在はあまりに半日本人や、変形日本人が多すぎるとき、彼放庵に逢ふと、やれ/\こゝに「日本人の典型」が残つてゐるといふ安心さへ湧く。
○…放庵は生活人であつて、決して画人とはいへない、だから彼の描く絵には、たゞの一枚として嫌々描いた絵はない「本朝道釈」のやうな絵物語風のものは彼自身描いてゐて一番楽しいに違ひなく、また観賞者もこの種の絵を観てゐると自づと、作者の生活の片鱗に触れる思ひがする、そこには平隠[#「平隠」はママ]と静寂との境地があり、見るものゝ心がそこで休息できるので
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