る多くの日本の超現実派の作家は、当然ダリと共に没落するだらう。然も作品的にはダリの足元へも寄りつけない拙作を抱へたまゝで没落するだらう。ダリは新しい衣を着た古典主義者にすぎない。ダリの理論的根拠は一応科学的ではあるが、新しい絵だと他人に見せかけることが出来る程度の科学性よりもち合してゐない、いまどきフロイド主義的理解に立つてゐるダリを私はどうしても新しい作家だなどとは思へないのである。
 ダリ自身かういつてゐる『サルウァドル・ダリが、英国のラファヱル前派の明白なシュルレアリズムに眩惑されずにゐるだらうか?』といふ言葉の中には、ラファヱル前派に対する所謂ダリ的主観と合理化があり、こゝでは完全に復古主義者としてのダリを証明してゐるだけである。ダリがラファヱル前派に眩惑することは勝手であるが、セザンヌまたラファヱル前派を忠実に観察してゐなかつたとはどうしていふことができるだらう。ダリはセザンヌを『プラトニックな石工にすぎない』とみてゐるとか、私はダリをまた『プラトニックなシンコ細工屋』と評することができる、形態の変化は芸術家の自由ではあるが、その変化が絶対的観念に於て求められるといふことなど
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