な拡がりや拡大はその描かれた線に極限されると同時に、観るものにその線の制約の中に内容的なもの実質的なものを見ようとする。つまり量は拡大されたが質がないといふことになる。それは画家が描くには熱心であつても、結局現実を逃避してゐるといふ結果に陥つてゐることになる。よく縁日で子供達が買つてゐるものに綿飴といふ白いボッと大きくふくれたのがあるが、あゝして質の充実しない外劃的な大きさのみがある作者にはもつと真面目な行き方を望む。
伊倉普……はスケールの大きさをとる。しかしスケールの大きさは物事を決してアイマイにするといふ意味であつてはいけない。全体の雰囲気の落漠さと作者の抱いてゐる宇宙観の大きさと一致した場合には、そのボッとした大きさのまゝで切実な高調された実感を与へる筈であるが、そこにはそれが欠けてゐる。それは作者伊倉の仕事の仕方が厳粛であるだけ残念なことである。
三宅策郎……『火にあたる男』は良い詩をもちながら、彼は描写上の常識性と戦から熱意が欠けてゐることは惜しい。この絵はとりも直さず、在来芸術の保守性への追従を語るものである。この作者はこの絵だけをみて決定的といふことを避けたいもつと
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