解決することができずに、二つの色の制約をそのまゝ絵に出してゐるといふ感ありで、この作家は少しあせつてゐる安宅式の鈍重感は捨てがたいものなのに己れの良さを彼は軽蔑してゐる。
佐竹徳次郎――こゝに来て漸く救はれる感がする。画家達はもう一度佐竹の絵『鯉』(2)を何かの機会に見せて貰つたらよい、少しは教へられるところがあるだらう。真鯉と緋鯉とが二匹悠然と水を泳いでゐる。作家の直感力の的確さで彼は近来私の見た展覧会で最も感動的な作品を書いてくれた。誰もこの佐竹の鯉の傑出的良さに騒がなかつたとしたら、殊によつたら彼は私一人の批評のために描いてくれたのかも知れない。
水の色の非凡さ、魚の物量感の出し方のすばらしさ、緋鯉の方の尾を全部描かないことが相並んだ二匹の鯉がたがひにしづかに水を推進してゐるやうな視覚的効果を挙げてゐてこの絵はいさゝかも観るものに不安定を与へない許りか、作者のもつ宇宙観の大きさをこの絵を通じて感じられて、この絵はおそらく一九三四年度の洋画壇唯一の収穫であらう。たゞ一語言ひたいことは、この絵そのものはいささかも難がないが、この作品がかなり偶然性があるといふことである。それは他に
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