ない点であらう、もしそれが事実として顕はれた場合は、恐るべき仕事ができる筈である、しかしまた曼舟氏がこれまでの自分の仕事は、自然の記録である、また人間的には謙遜な模写の態度であるべきで、自然の一本の枝を自由にひんまげるといふ権利を得るまでに至るには、さう生易さしいものではない、六十歳位になつてから始めてその権利を辛うじて得られるだらうといつた、自然と人間との関係は非常に愛情的なものである、またさうした言葉を川村曼舟氏が吐き得たといふことも、氏がこれまで厳格な写実主義者として歩んできたから始めてそこに到達できたものであると考へる。
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児玉希望論
いまこゝに児玉希望氏の擁護論を書くとすれば、児玉氏の世間的な常識性を支持することになるのである、一般的な児玉論といふものは、どれを聴いてみても、非常にデリケートなものだと思はれる、美術雑誌の経営者から、観察された児玉氏――美術評論家から観察された児玉氏――、美術記者から観察された児玉氏――、画家から――、一般観賞者から――それから同じ画家同志から――とこれだけ区分してみても、この作家の批評
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