その理由の一つには、この作品には、『表現』の問題を解いてゐるからである、この作品に到つて、始めて風景の表現といふことがどんなものかといふことを、作者も知り、我々もまた見せつけられるのである。
川村曼舟氏の作画態度を、私は京都に行つたときの僅かな会見ですべてを知ることができたが、氏は作画対象としての風景といふものに対してかういふ態度をもつてゐる、氏の言つた意味をこゝで要約的に言へば、自分は風景といふものに対しては、それを特別にどう表現しようとか、どういふ風に捉へようとかする考へはもつてゐない、自分は単なる旅行者として、その瞬間的な自然の姿態の心に映つたまゝの一場面をさへ、完全に描き伝へることができたらそれで満足であるといふことを語つた。
氏の態度は自然を発見するために、歩るきまはるのではない、歩きまはることに依つて発見したものを、強く記録するのである。さういはれれば曼舟氏の作品に就いて一つの特徴を発見することがある、それは氏の作品を注意してみれば、構図的にも決して余韻をつくつてゐない、自然の一角を断裁してきたやうな厳格な緊張感で絵がまとまつてゐる、絹なり、紙なりの両端に描かれた松の枝
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