として、勝負なしの状態にをかれてゐる、その点が川村氏の作品の持ち味としての佳さがある、川村氏の作品を『硬い――』と評する人は単純である、さりとて『柔らかい』と評する人はまた当つてゐない、俗にいふところの川村氏は硬軟両様をゆく人ではなく、『硬軟の境』をゆく人なのである。
 しかしながら川村曼舟氏が、全く最初から硬軟の境をゆく、世界を開拓したとはいへない、硬と軟とを分離したやり方も過去にはある、硬い風景をけふ描いたかと思ふと、軟らかい風景を明日描くといふ硬軟両様の使ひ分けをしてゐた時代もある、それは曼舟氏の初期の時代がそれであつたらう、『夕月』といつた柔軟な境地もあれば、近くは防空聴音器などといふ近代的器械を扱つた『秋空』といつた作品もある、しかし前者は、技術から滲みだした軟らかい情感の世界があつて、初期の仕事としての必然性があるが、後の『秋空』はもつと通俗的な、風景作家としての曼舟氏が、出来心で描いたやうなぴつたりとしないものがある、しかし問題はこの二つの作品にあるのではない、むしろこの二つの軟らかい作品を除外したところの一見硬く見えるところの風景作品に曼舟氏の本領があるのである。
 帝
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