ず、物言はぬものに対する横暴なメスのいれ方をして、そこに自然愛を少しも態度としてもつことのできない画家が少くないのである、写意といひ、写実といふことはこの点に関係があらう、人間の表現は自由ではあるが、それが全く自然を絵に仕立てるために、勝手に自然の形を変へていゝといふことにならないのである、変へていゝところと、変へて悪いところとがある筈だ、それを正しく認識するところにその作者の人生観、自然観、倫理観が存在する、私は何故にそのことを強調するかといふに、川村曼舟氏の仕事の性質を強調したいからである、そこで吾人は、非常に単純な気楽な意味でいつたい風景画家は誰か――といふことを考へてみることがいゝ、さう質問されて諸君はちよつと考へざるを得ないであらう、風景を描いてゐる作者はずいぶん多い、しかしかう改まつて真個《ほんと》うの風景画家はといはれた場合にはちよつと卒急には答へられないものがあるだらう、そして漸次幾人かの人々の名は挙げることができよう、しかし真先に、川村曼舟氏の名を挙げても、決して誤りではあるまい、むしろ私は川村氏の名を挙げて、その次に来る人の名をちよつと思ひ出せない。
 風景を描いて
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