た作家といふのを選んでみれば、川端龍子を筆頭にあげることができ、次々と何人でもある。世評も何となく派手で解放性があるのである。しかし陰気な方の人気者たちは、何時の場合も、観賞者を全部的に納得させないでをいて、その人気をひきずつてゆくといふ力がある。だから何時まで経つても、なかなか人気を喪失しない作家といふものが居たとしたら、観賞家や、批評家はそのことに疑問をもち懐疑し、そしてその作家の本質を再吟味する必要があらう。
 山口華楊はその人気の陰性であると共に、何時まで経つても人気を喪失しないといふ、その事実に対して、人々は山口華楊といふ作家の、再認識をするべきであらう。またその再認識に良き時期がきてゐるともいへるのである。これまで華楊はどういふ世間的扱ひをうけてきたであらうか、それに就いて、最も適当な華楊評の一断片があるので、それをとりあげてみよう。春虹会第四回展に華楊は「日向」と題して猫を描いて出品した。それに対しての某氏の批評に「流石此作は又一歩華楊らしいよさを進められてゐるのが目立つ(猫の形の強ひて言へば、稍やわざとらしい誇張が気になる様な気もするが、強ひて言はねば気の利いた掴み方で
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