状態にをくことのできない、膏薬張り的な人気調節法なのである。
いま菊池契月といふ作家の人気の状態といふものを診断してみる、ある人は斯うその性格と仕事ぶりを評してゐる『契月は才気煥発ではないが――』と、その作品をみると、その穏和な、無理のない仕事ぶりは、この人柄、つまり性格としても才気煥発でもなければ、仕事、つまり制作手段に於いても才気煥発でもないと――思はれる。しかし菊池契月氏を指して、才気煥発でないなどといつた人の顔をみたいのである。また思はず微笑も湧くのである。
決してその人の言つた言葉が誤りだといふのではない。契月は才気は煥発してゐない、しかし翻つてその人は契月の絵を系統的に見たかといふことと、その作品の本質を吟味したかといふこと芸術上の才気とはどんなものかもつと皮肉な言ひ方をすれば菊池契月氏の作品は才気が煥発しないで描ける絵であるかどうかといふことになつてくる。それはその人と私との『才気煥発』なるものの解釈見解の相違なのである。しかしその才気煥発か、否かといふことを吟味するには、契月を俎上にあげることはいちばん適当なやうである。菊池契月氏こそ真個《ほんと》うの意味での、才気
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