数は趣味に淫し、色彩に戯むれ、形式に堕したと指摘してゐる。そして創作方法を異常に求めるか、平明に求めるかと出題してゐる。時は流れ、現在に到り、異常派の作家はまことに多いが、何と平明派の作家で寿命のつづいてゐる作家が少いことであらう。大智勝観氏は、その昔からその浪漫的要素を非難され、迫力のとぼしさを残念がられ、その作風の平明なる故に、とかくに見遁され勝である。若し隠然たる勢力といふものが、画家の政治的工作にあるのでなくて、作品の本質にあるものだとすれば、大智氏の画壇的生命力は、その作品の顕れざるところの力量にあると思ふ。
『手に筆硯を親しむの余、時有りて遊戯三昧し、歳月遙永にして頗る幽微を探る、妙悟は多言に在らず善学は還り規矩に従ふ』と王維が述べたが、大智氏の仕事ぶりは歳月遙永であり、四十にしてではなく六十にして不惑であらう。然し沈黙勝の人柄は、却つて妙悟を得、しかも案外の勉強家である点、規矩に従ふといふ方法は、益々その作品の新鮮度を増す理由であらう。
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小倉遊亀論


 画壇でも、文壇でもさうであるが、女流作家は、男の作家に較べて、い
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