しろ相当神経の行きわたつて抜け目のない描出をしてゐると考へる。岩井の表面的稚気や稚拙さは相当不自然なものがある。むしろ私は岩井の制作態度でうたれるものがあるとしたら、画面全体に流れてゐる重厚さが好きだ。私は彼の色彩にも驚ろかない、それは新しい美学の世界では、すでに岩井の色はクラシックに属するからである。彼が今後いかに時代的な新しい色感をとりいれることができるかどうかは、興味ふかいものがある。好漢をして更に飛躍せしめよである。更に私は岩井の制作態度に就いて彼の写実主義の行詰を痛感させられる、つまりヘーゲル的な究極点にきてゐるやうに思ふ『芸術の目的はイデーと形態との同一性をば眼と想像とに示すことである、それ(芸術)は現実の外観と形態との中に於ける永遠と、神聖と、絶対的真理との発現である』――この言葉はヘーゲルの言葉であるが、なんと岩井弥一郎の画に表現された芸術観と一致したものがあるだらう。
 こゝまでは過去の写実主義者も行きつくことができた。この観念論的方法も、個人的には岩井式に絶対境に到達できた。だが一度この個人的な信念も、絵となつて現はれるとき、社会的批判に堪へなければならない。その瞬間に、作者の信念は観るものに案外もろいものに受けとることができる。岩井はスケールの大きさを覗ひ、重厚さ、素朴さ、粘着力のある仕事つぷりは好ましい。そしてその芸術の闘ひ手としては旺玄社ではドンキホーテ的画家は岩井だといふことができよう、そして殆んど反対の立場で仕事をしてゐるハムレット的画家に上野山清貢がある。

   上野山清貢に就いて

 岩井の神経の太さと上野山清貢の神経の細さを形容しまた時代的意味も加味して、ドン・キホーテとハムレットと形容したが、上野山の場合の神経の細さは、画壇で珍らしい特殊な神経の持主だといふことができる。徹底したカラーリストであるといふ点では、牧野虎雄と好一対であるが、今度の旺玄社の牧野の出してゐる『芍薬』は色彩家としての牧野の特長を生かした画とはいふことができない。最近の牧野の仕事は何か色彩に就いて以前程衝動的美しさを感じてゐないやうだ、『芍薬』の花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]してある壺のその壺の絵画の太い線描などはいかにも牧野が線に対して特別な愛着を示してゐるといつた表現である。そしてその太い線は線描家としての牧野のものでもなければ、色彩家としての牧野のものでもない。つまり線でも色でもない、線でも色でもないものは一体それは何だと誰かゞ反問しさうだ、簡単に言はう、それは『不自然』と称するものである。
 牧野には早晩、彼自身に色と線との分離で苦しまなければならない、宿命がきてゐるやうである。その点で己れを知つてゐるものは上野山清貢である。彼はその点では徹底した色彩家である。これまで極端に混濁した、黒つぽい絵を描いてゐた時代の上野山を私は知つてゐる。そしてその反対に全く明るい華美な色彩の時代の彼をも知つてゐる。彼は色彩の上では、明るさと暗さと、美と醜との間を動揺して来たし内心的な葛藤を彼の絵の仕事を通して知ることができる。そして現在の彼の『魚』の境地では、私は最も彼らしい性格的な調和的な仕事ぶりと、観察してゐる。
 私は上野山清貢の仕事ぶりに就いて、画家仲間の上野山評といふのを厳密な意味で聞いたことがない。上野山の絵は優れてゐるかといふと否といふ、悪いかといふと否といふ、的確な批評をしないのである。そして話をすぐ彼の芸術ではなく、彼の人物評や、行状の方面へその人は話を転じてしまふ。物足りないしまた馬鹿々々しい。上野山に就いて彼の芸術を語るといふ親切さを画家仲間からきかない。もつとも一人の人物の『芸術』を語るといふことは『苦しい仕事』であるしゴシップを語るといふことは、『愉快なこと』であるから、上野山のゴシップ的面を語つて、上野山の芸術が判つたと気が済んでゐることも良からう。だが私の芸術上の潔癖性はそれをさせない。上野山の作品に対しても、良いか悪いか決めてかゝりたい。
 上野山が大臣を描くといふこと、鼠よりも柔和なライオンを描くといふこと、これらの愚劣に属する仕事の攻撃手は多い。だが彼の本質的な仕事『小品』には人々が触れたが分[#「分」に「ママ」の注記]らない。私は特権階級に対して全く非妥協的であつたクルーベと大臣の顔を平然として描く、上野山と比較しようとするのではないが、上野山が大臣の金モールを透して、如何に大臣を人間的肉体的に描かうと努力してもそれは無駄なことゝ思ふ。
 彼の画壇的生活には、大臣を描く社会性と、魚を描く芸術性との不一致があり、この二つの矛盾は近来彼の仕事の上で益々開きができてきた。まもなく彼はどつちかに決めざるを得ないだらう。大臣の顔を鰯やヒラメやカナガシラそ
前へ 次へ
全105ページ中64ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング