望や深水の年齢を数へて、その若いことに気づいたならば現在希望や深水がどのやうな実験的な仕事をしようが、風景画家といふレッテルをかなぐりすてゝ美人画を突然に描き始めたところで少しも驚ろくにはあたらない、そこの関係は希望と深水とは反対の現象が現はれてゐる、深水に於いては、その美人画家であることを保留して、現在花鳥、風景の研究に精を出してゐるに対して、希望は風景、花鳥画家であることを保留して人物画美人画の世界を探究してゐるのである。
 しかしこの二人に対しては余分な心配はいらないやうだ、美人画家希望――風景画家深水――とは決して生れかはることはあるまい、結局に於いて従来の仕事を基礎において、そこに綜合的な製作を行ふだけだらう、さうした計画は、画家として正しいやうである。風景画家が、急に美人画を描きだしたら、たしかにお可笑い、しかし風景の中の美人を描くには、美人を描く機会も、画家としてつくらなければならない、我々はさうした観点から、長い眼でさうした計画をみてゐたい、せつかちな画商的評価を、画家の製作態度の変化に与へることは大いに避くべきだと思ふ。
 希望の風景の色感を、或る人は評して汚ないといつたがそれはたしかに一理ある、現在の画壇の色感が奇麗すぎるから、その意味でも汚ない色を希望は使つてゐるかもしれない、しかしさういふ言ひ方をするのであれば、玉堂の色彩はもつと汚ないといはれるべきだらう、希望の風景はむしろ汚ないどころか、色彩は相当に派手な方なのである、ただ色が奇麗だと言はれ、或は汚ないと言はれることに就いて、評者の批評的位置といふことを考へて見る必要がある。全くの美術鑑賞眼をもたない人に、美しい(即ち奇麗な)絵を選ましたらいつぺんに判るだらう。赤や青を美しいとし、茶や灰を汚ないと単純に考へてゐる人もまたすくなくない、画家の現実の色彩的拠点といふものの設定の仕方は、最後に出来上つたその絵の効果の種々雑多な種別を生むのである。
 現実再現の仲介物である絵の具の色感といふものに頼らない、場合によつては、絵の具否定に出る、絵の具の在来の色感にこゝでは、現実にいつでも捻ぢ伏せられて、概念上の美感はむしろ失はれる、玉堂の作品や、希望の風景には、さうした行き方があり、それは一見汚ないやうに見て然らず、現実を語る色彩的手段のより現実的な理由を証明するものが多いのである。
 希望はその風景、花鳥に一応の技術的段階を示してゐるから、本人もそれを自覚してゐるらしい、人物画にすゝむことは良いことである。「荊軻」の試みは、既に試みといふよりも完璧的なものがある、この突然の人物画への方向転換は人々を少なからず驚ろかした、それは希望も人物を描くといふ驚ろきではない、今はやりの言葉で形容すれば実によく「企画」のたてられた絵なのである。構成のよさ、この絵を描くための希望氏の心理的準備期間に、希望氏自身の心理的発展、画境の開拓を思はしめるものがあつた。私はこの「荊軻」をみて、はからずもこゝに児玉希望氏の芸術観、言ひ換へれば人生の見方、ともいふべきものを、その図柄の上で発見し、私を少なからず動かすものがあつた、この絵のテーマとして、暗殺者と被暗殺者との対照は難かしい仕事であるにちがひない。常識的に解すれば殺しに行く方を、顔、表情、其他をするどく描かるべきである、私はふと暗殺者の武器を握つた手に触れたとき、その手がふつくらと肉付きがよく、豊かに描かれてゐるのを発見して、これなるかなと嘆賞した。
 ここに希望氏の対象に対する愛情があるので、殺しに行く人間の手をゆたかに表現したといふことは、単純なこととは見のがすことは出来ない、それは希望氏の心の奥底にひそまれた愛情といふ風に解したい、世俗的な評価の中に、とやかく言はれ、とにかく人気を背負つてゐる希望氏とは別のところに、希望氏の人間的本質が発見されるのである。
 殺しにゆく人間も、殺される側にまはる人間も、希望氏に於ては、その人間的豊かさに於て表現されたことは、如何にも正統な表現といはざるを得ない、吾人は、希望氏のかゝる対象に対する深き愛情が今後の仕事のスケールの大きさと豊饒さと未来性とをもたらすであらうことを信じて疑はない。
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大森桃太郎氏の芸術
   旭ビル半折洋画展を観る

 大森桃太郎氏の作には一昨年の秋いまはすつかり昇天してしまつて影も見せない、旭川美術教会[#「教会」はママ]の特別出品の一人として拝見した、当時の『南の街』の大作から今度の旭ビル楼上の数点に遭遇してあまりに彼が彼のそつと蔵つて置くべき行李の底のボロ切れをひつぱり出してゐたのに吃驚《びつくり》した、早い話が三十番の『風景』こんな処に彷徨してゐるとは思はなかつたのだ、殊にこの『風景』は言語道断であり『お
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