、その前に川村曼舟のこれまで辿つてきた、画的な足どりに就いて一言しなければならないだらう、この作者は世間で考へる以上に複雑な存在だといふことを先づ第一の問題として提出しておく。
 何故ならばといふに、曼舟氏の風景ばかりといふ、世にも映えない仕事に対して、通俗的評価はあまりにその風景許りを描いてゐるといふことを単純に考へすぎてゐるやうである。しかし実はこの風景許りを描いてゐるといふ難かしさを考へてやらねば作者が可哀さうなのである、赤い色のついた絵や、婦人の脛をちらりと覗かせるといふ美人画は、それだけで通俗的には歩の良い仕事なのである、川村氏のやうに、こつこつと樹木の繁みの重なり合ひを追求したところで、その隠れた苦心はなかなかかつてはくれない、風景を漫筆のやうに描くことをしないこの作家は、自然に対して整然とした規範を設けて、それを正確に描いてゆくといふ『硬さ』はたしかにあるが、そこにまた曼舟氏の画家としての自然観、道徳的立場があるのである、その点に注目しなければならない、自然と人間との関係に於いて、人間はあくまで、自然より優れたものとしての位置を得なければならないのである、構図や運筆に顕はれた作者の自然解釈は、とりもなほさずそのまゝその作者の道徳的種類をはつきりしめしたものである、一本の松の樹をいかに描いてゐるかといふことを、実物を前にして二十人位の日本画家に描かしてみたら面白からう、或るものはこの松の木を至つて簡単に片づけてしまふ、自己の主観の強さ、表現の自由を理由として、無いところに枝も加へ、曲つてもゐない枝を、巧みに歪曲して、美事に日本画をつくりあげてしまふ、また或る者はこの自然の松の木に執着して、心の動きがとれずに、筆をおろすこともできずに何も描かないでしまふだらう、二十人は二十様にその松の樹は描かれよう、しかし誰がいちばん正しく松の木を描いたかといふことは問題になる、主観の強さで、どんどんと木の枝をひんまげて絵をつくることは簡単である、しかし自然の在りの儘の姿は改変されてゐる、むしろこの種の画家は、芸術の自由の名の下に、表現の自由の名の下に、勝手に自然を歪曲するといふ道徳的悪の行為を経験してゐるといふべきだらう、物言はぬ自然物に対する人間の勝手な改変といふことはもし自然物が動物のやうに叫ぶことができたら、どれだけ悲鳴をあげるかわからないのである、風景画にかぎらず、物言はぬものに対する横暴なメスのいれ方をして、そこに自然愛を少しも態度としてもつことのできない画家が少くないのである、写意といひ、写実といふことはこの点に関係があらう、人間の表現は自由ではあるが、それが全く自然を絵に仕立てるために、勝手に自然の形を変へていゝといふことにならないのである、変へていゝところと、変へて悪いところとがある筈だ、それを正しく認識するところにその作者の人生観、自然観、倫理観が存在する、私は何故にそのことを強調するかといふに、川村曼舟氏の仕事の性質を強調したいからである、そこで吾人は、非常に単純な気楽な意味でいつたい風景画家は誰か――といふことを考へてみることがいゝ、さう質問されて諸君はちよつと考へざるを得ないであらう、風景を描いてゐる作者はずいぶん多い、しかしかう改まつて真個《ほんと》うの風景画家はといはれた場合にはちよつと卒急には答へられないものがあるだらう、そして漸次幾人かの人々の名は挙げることができよう、しかし真先に、川村曼舟氏の名を挙げても、決して誤りではあるまい、むしろ私は川村氏の名を挙げて、その次に来る人の名をちよつと思ひ出せない。
 風景を描いてゐるからといつて直ちに風景画家とは言へないのである、自然の奴僕化した画家もある、自然の幇間《タイコモチ》化した画家もある、自然に完全にコヅキ廻されてヘトヘトになつてゐる画家もある、その場合の人間は卑しい立場に立つてゐる、それと反対の場合は、自然に妙に反抗的な画家、自然の小股スクヒ、要領よく絵にしてしまふ画家、自然を荒しまはる粗雑な頭をもつた画家、勝手に木を伐つたり、無いところに枝をつけたり、ひんまげたり独断的な野蛮主義者、など、これらは真の風景画家ではない、自然と人間との接触の姿といふものは、まちがひなく画面に証拠だてられる、漫画を描いてゐるやうに自然を描いてゐる風景画家はまことに多いのである、そしてその方が一般的には通りがいゝのである、しかしそれは『通りがいゝ』だけで、我々の精神をそこにとどめてをくやうな印象のふかい絵ではないのである。
 川村曼舟氏の風景画には、人間としての自然への執着のひたむきなものがあり、そこから曼舟氏の作品の道徳的展開がある、曼舟氏は決して自然に敗北しない、さりとて自然を人間的な優位性をもつて、打ち負かしもしてゐない、川村氏の作品は、自然と人間との取つ組み合ひ
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