やることがよい――といふ、しかしこれは現に行はれてゐることでもある、子供の教育に熱心な、或は熱心すぎる家庭の母親はさうしてゐる、値段に構はず、高い読物を選んで買つてやつてゐる、座談会に出席した某デパートの書籍部主任はかういふ『手前どもでは、いくらでも高い本が売れますから、高くても、いゝ本をつくつていただきたい――』と、母親が子供のために良書を選むといふこと、高くても良い本と言ふことは、間違つてはゐないであらうが、子供読物浄化運動の主旨と、本質から少しく離れてゐる、殊にデパートの書籍部主任が、いくら高くても売れるからなどといふホめ方は、少数の子供を目標にしたホめ方で、大多数の子供のために、愛情ある言葉ではない、売れさへすればといふ、利益の幅の大きさを、前提とした言葉であつて、ある意味では悪質でさへある。
母親が選んで本を買つてやるといふ、良家庭は必要であるが、赤本漫画の改革は、かうした家庭の読む本といふより、俗に餓鬼鼻たれ小僧と呼ばれてゐる、広い庶民階級の子供を対象として起きた問題なのである、そこのところの混同はできない、本が安いといふことに問題がたくさん残つてゐる、五銭玉、十銭玉を一個母親に与へられて、本屋に子供自らが走つてゆくといふ性質のもので、さうした実状を無視して、兎角民間の浄化問題は理想論にかたむく。これらの鼻垂小僧の両親は、赤本漫画の有害なことを、知らなかつたのであらうか、充分に感じてゐたに違ひない、何故なら現在の我国の家庭に於ける児童の位置といふものを考へてみたらいゝ、家庭は子供達にとつては、ヱレン・ケイ女史のいふ、それは家庭があつても、無いと同様な『無家庭』の状態にをかれてゐる。
父親は働きにでかけ、子供達は学校にでかけるが、一日の大部分を学校では家庭から子供たちをうばつてゐる、やうやく家にかへると、母親は家のことで忙がしく、子供たちのことは、かまつてくれない、子供達は親にうるさがられ、幾何かの金を与へられる、子供はそれで鳥モチを買つて、トンボ釣りに出かけるか、紙芝居を見るか、赤本漫画を買ふかする。
ことに漫画を愛好する子供の狂的な熱心さは、手に負へない悪太郎も、『本を読んでゐる間は』猫のやうに温和しくなる、その有様を、親達は内心恐れながら、子供達のお守りをしてくれる漫画の本に、感謝さへしてゐる、トルストイは、学校といふところは、既に中性的なとこ
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